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2011/12/09

人類の軌跡その259:地中海の覇権①

<ポエニ戦争その①>

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◎BC264年 第1次ポエニ戦争(~BC241年)

 カルタゴは北アフリカの地中海沿岸に位置し、当初はフェニキアの植民市として建設されました。
現在のチュニジアの首都チュニスの近傍であり、イタリアのシチリア島にも近い位置に存在しました。当時、多くの植民市を地中海沿岸、北アフリカ西部、イベリア半島東南海岸に建設し、サルジニア島とコルシカ島の全域と、シチリア島西半分もその勢力下に治めていました。

 カルタゴは西地中海での商業貿易によって繁栄し、強力な海軍を編成し、本国のフェニキアが没落した後も繁栄を続け、交易は、西地中海に留まらず、ブリタニアの錫(青銅の製造に必要)、アフリカ西海岸の金・象牙にも及び、又、農業も重んじられ、カルタゴ市の後背地では小麦が作られていました。

 ローマ人がフェニキア人の事をポエニ人と呼んでいた事から、ローマ帝国とカルタゴ間の戦争もポエニ戦争と呼ばれています。

 第1次ポエニ戦争の発端は、シチリア島から始まりました。
シチリア島西部は、カルタゴの支配下に在りましたが、東部には独立のイタリア人傭兵隊が支配するメッサナと、カルタゴと結ぶシラクサが存在していました。

 シラクサの王ヒエロン2世がメッサナを攻略すると、メッサナはローマ帝国に救援を求め、ローマの元老院は、カルタゴとの全面戦争と成る事を見通して躊躇いますが、民会は援軍の派遣を決議し、こうして、BC264年に第1次ポエニ戦争が勃発しました。

 最初の戦闘はシチリア島で行われ、シラクサ王ヒエロン2世はカルタゴからローマ帝国に寝返り、更にローマ軍はカルタゴの支配下に在ったアグリゲントゥムを攻めて困難な攻囲戦の後に陥落させました。
 その後膠着状態と成った戦局を打開する為、ローマ軍はカルタゴの海軍力に対抗し得る大艦隊の建造を開始、艦隊はBC260年に完成し、BC256年にはカルタゴの艦隊を破って、ローマ軍は北アフリカのカルタゴ本土に迫りますが、そこで大敗を喫し、ローマへの帰路に暴風に合い艦艇の大半を喪失します。

 その後シチリア島での攻防が続き、カルタゴは強力な傭兵部隊を組織し、BC243年にはローマ帝国側の敗色が濃厚となります。
この時、ローマ帝国元老院には打開策を模索できず、富裕なローマ市民が私財を投じて200隻の艦隊を建造し、カルタゴの艦隊を全滅させることが可能と成りました。

 結果、BC241年、カルタゴは和議を請い、シチリア島を放棄し、巨額の賠償金を支払う事と成ります。
更に、ローマは、戦後間も無く、サルジニア島とコルシカ島も奪取する事に成功したのでした。

続く・・・


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