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2011/12/13

人類の軌跡その261:地中海の覇権③

<ポエニ戦争その③>

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◎BC149年 第3次ポエニ戦争(~BC146年)

 カルタゴは、第2次ポエニ戦争の後も。商業国として繁栄していました。
第2次ポエニ戦争の講和の際に「カルタゴはローマの了解無しに、アフリカ内の近隣国と開戦することを禁じられていた」のですが、この条約を巧みに利用して、隣国のヌミディア王マシニッサは、しきりにカルタゴ領に侵入を繰り返し、更にローマ帝国が、カルタゴの開戦を承認しない様、策を巡らせ、一方ローマ帝国元老院にも、大カトー等のカルタゴ撃滅論が根強く、カルタゴの応戦は了解されませんでした。

 カルタゴが、その挑発に耐えきれず、ヌミディアを攻撃すると、ローマ帝国は条約違反と見做して軍隊を派兵します。
カルタゴは、ローマ帝国に使者を送り、弁明をするものの許されず、逆にカルタゴの武装解除・カルタゴ市民の海岸から10マイル以上への立退・カルタゴ市の破壊を命じたのでした。

 この命令に激怒したカルタゴは、決死の籠城戦を覚悟し、女性や解放された奴隷も戦闘に加わり、3年の間抵抗を続けます。
ローマ帝国は当初苦戦を強いられますが、スキピオ・アイミリアヌス(注)が指揮を取り、猛攻の末にカルタゴ市を陥落させたのでした。
(注:ザマの戦いの将軍スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の長子の養子。小スキピオ。)

 降伏した際に、生き残っていた5万人はカルタゴ総人口の1割で在り、彼等は総て奴隷として売られ、カルタゴ市街は更地に成るまで17日間に渡って焼き尽くされました。


ポエニ戦争終わり・・・

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