2012/01/04

人類の軌跡その275:過去の記事から③

<紀元の年>

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神武天皇東征

 12月25日はクリスマス、イエス・キリストの降生祭ですが、イエスが、この日に生れたと云う証拠が在る訳では有りません。
事実、降生祭も1月6日に行われた事も在れば、5月25日に行われた事も在りました。

 現在の西暦紀元を、イエス誕生の年と定めたのは、6世紀の神学者ディオニシウスで、この時、イエスの誕生は、ローマ建国紀元754年とされました。
後年、ディオニシウスの計算は、誤りである事が判明し、実際のイエスの誕生は、この紀元より4年程遡る、恐らく西暦紀元前4年であると考えられています。

 宗教の開祖については、その教えが広く人々に信じられる様になると供に、その生涯は、曖昧模糊となって行きます。
仏教の開祖「釈迦(仏陀)」にしてもその生没は明らかでないものの、シャカは、イエスよりも少なくとも、500年以上も前の人物なので、生没年に異説が多く存在しても不思議ではないと思われます。
その入滅、即ち仏滅の年は、西暦紀元前485年とも紀元前386年とも云われています。

 日本の平安時代には、仏滅の年を西暦紀元前949年と考える説が、最も有力で、仏滅から2000年を経過すると、末法の世に入ると考えられていました。
従って、平安時代中期の永承7年(西暦1052年)は、当に末法の入る年であり、この年、藤原頼通は、宇治の山荘を平等院と名づけて寺院とし、翌年には阿弥陀堂(鳳凰堂)を建立しました。
仏教徒の間でも、この様に仏滅の年が紀元とされる場合が、少なくないのですが、基準と成るべき仏滅の年に、異説が多ければ、年の換算も又、複数存在するのも無理からぬ事でした。

 その点、イスラム教の場合、その起源が新しいだけに、年月日も明らかで、イスラム歴の紀元元年は、マホメットがメッカからメジナに移った年、所謂、ヘジラの年(西暦622年)で在り、マホメットがメジナに到着したのは、9月20日です。
但し、イスラム歴の基点は、この年の太陰暦の元日に当たる、6月16日とされました。
イスラム歴は、純粋な太陰暦を用い、従って平年は354日と成り、太陽暦とは、年毎に10日から11日の誤差が生じて来ます。

 この様に考えれば、世界各地で用いられている紀元の年は、曖昧なものと言わねば成りませんし、是等の紀元は、何れも宗教上の習慣に基づくものなので、国家として制定したものでは有りません。

 国家が、その建国の年を紀元する例は多く、古くはローマ建国紀元であり、インドのグプタ朝建国紀元があり、フランス第一共和制の基では、共和国成立の西暦1792年9月12日を所謂、革命歴第1年元日と定めていました。
現在でも、台湾の中華民国政府は、その成立の年である、西暦1912年1月1日を紀元として。民国の年何年と数え、中華人民共和国では、「公元」と称して西暦を用います。
嘗て、中国では、伝説上の皇帝である、黄帝即位の年を以って紀元とする、黄帝紀元を称えた時代も在りました。
大韓民国では、開祖壇君即位の年(西暦紀元前2333年)を以って、公式の紀元とします。

 日本では、暦が始めて用いられたのは、聖徳太子の時代、推古天皇の12年(西暦604年)であり、其れまでは、歴法が存在していない為、正確な年月を計算する事が出来ません。
しかも日本の建国の日は、中国で流行した讖緯説に従って、推古天皇9年(西暦601年)の辛酉の年から1260年遡った、辛酉の年(西暦紀元前660年)正月元日と定められました。
所謂、神武紀元です。

 「紀元節」は、この神武紀元の正月元日を太陽暦に換算して、明治6年に制定されたもので、西暦紀元前660年の日本は、縄文文化時代であり、金属器も知らず、農耕も殆んど行われる事無く、勿論、現在の概念で言う国家も発生しておらず、暦が存在していないので在るから、現実には、換算の方法は存在しないはずなのです。

 最初の紀元節は、明治6年1月29日に行われたのは、その日が、旧暦の元日に当たっていた為でした。
しかし、旧暦の元日が、年によって異なるのは、自明で明治6年1月29日が元日でも、1年前、100年前、1000年前の元日がその日に当たるとは限りません。
其の為か、翌年から、2月11日以って紀元節とする事に成りましたが、なぜ2月11日と換算されたのか、その根拠は明らかでは有りません。

続く・・・

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