2012/01/05

人類の軌跡その276:過去の記事から④

<ゼロを知らなかった数学>

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 今、私の手元に業界新聞が有ります。
この通し番号は、32164号。
1年について、362回の発行があるとすれば、32164号は、何年分に当たるのでしょうか?
この様な問題を出されたら、パソコンや計算機を使わずとも、私達は紙に書いて、計算(筆算)によって、直ちに答えを導き出す事ができます。
其れは、計算に便利な算用数字と筆算の方法を知っているからです。

 処が、単純に見える計算でも、昔の人々には、大作業で、明治以前の人ならば、「三万二千百六十四を三百六十二で除する」と書いて、頭をひねったのです。
勿論、紙の上での計算は出来ません。

 ソロバンの使用方法と、割り算の「九九」を知っている人ならば、ソロバンの上で答えを導きだしたでしょうが、ソロバンも現在の様に普及したのは、江戸時代(17世紀頃)以来の事なのです。
ですから、それ以前の人にとって、複雑な掛算や割算は、大変難解な事でした。

 是は、ヨーロッパ人に取っても同様で、現在の算用数字(アラビア数字)が用いられる以前、ヨーロッパで用いられていたのは、ローマ数字であり、上の問題をローマ数字で表せば以下の様に成ります。

((I))((I))((I))(I)(I)CLXIV(割る)CCCLXⅡ

 是を見ても筆算は到底不可能である事が解かると思います。
ギリシア人で在っても同様で、ギリシア文字で書いたのですから、筆算出来ない事に変わりは有りません。
つまり、ヨーロッパで用いられていた数字は、計算の結果と資料としいての数値を記録するものに過ぎず、実際の計算には、アバークスと言う計算器を用いたのですが、アバークスの操作は、途方も無く複雑で、ソロバンの比では無く、昔のヨーロッパ人は、わざわざアバークスを用いて苦労を重ねた上に、ようやく答えを導き出したのでした。

 実際、計算に便利な算用数字はアラビアからも伝わって、是を用いた筆算の方法も12世紀初頭には、イタリアで紹介されていましたが、当時のヨーロッパ人にとって、アラビアは異教徒の土地であり、敵国でも在った為、教会勢力を中心とする保守派は、頑なにアラビア数字を排撃し、その使用を禁止さえも行った為、アバークスは、尚数百年にわたって利用され続けました。

 さて、私達は、数学の天才と言うと、近代では、ニュートン、デカルト、ガウスを連想します。
しかし、ヨーロッパにおいて、近代数学が発展するのは、17世紀以後の事であり、アバークスのレベルでは、方程式を解く事は不可能でした。
近代数学は、アラビア数字を用いる事で、発達したのです。
アラビア数字は“1~9”と“0”の記号を組み合わせて、あらゆる数を表す事が可能であり、日本のソロバンの様に、位取りの方法によって、大きな単位の数も簡単に表す事が可能で、新しい記号を作る必要は、皆無でした。

 この“0”の記号化と位取り法の発明は、アラビア人ではなく、本来はインド人が発明したもので、其れをアラビア人が取り入れて、用いられる様になったのです。
インドにおいて「ゼロ」の記号は、実に紀元前2世紀には用いられ、其れは「無:シューヌヤ」と呼ばれました。
誰がこの記号を発明したのか、そして「ゼロ」を数字の一つと考えて、計算に用いる様にしたのかは、現在でも判明していません。
更に、何故インドにおいて「ゼロ」の思想と「位取り法」が発明されてのでしょう?

 一部の学説では、是をインド人の「無」の思想、「空」の思想と結び付けて考える人物も存在しますが、この様な偉大な発明も「本来は社会的環境の所産であり、その時代のある切実な要求に答えたものである事を、想定しなければならない」(ネルー)でしょう。

 確かに古代のインドでは、商業が盛んで、簡便な計算法が無くては、商業計算は無理でした。
ギリシア人は、その思索の中から、高度な幾何学を発達させたのも、商業や航海の上から必要に迫られた事に相違無いものの、ギリシアの天才達も、終に「ゼロ」の発見は出来ず、算術や代数は発達しませんでした。

 如何なる説明も、不明な面の一部を解くに過ぎず、ヨーロッパ人はインドやアラビアに学ぶ迄、終に「ゼロ」の概念も簡便な計算方法も知らなかったのです。
16世紀の数学者の著書「少数論」を次に人々の為に記しました。
「天文学、測量士、織物の計量士、重量の測定士、及び商人の皆様」
当時のヨーロッパにおいて、数の計算作業を、如何なる人々が携わっていたかを示しています。

続く・・・

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