2012/01/11

人類の軌跡その279:過去の記事から⑦

<シェークスピアは実在したのか>

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マクベス&バンクォー 

 シェークスピアの名前を聞いて、どの作品を思い出しますか?
「ハムレット」「マクベス」「リア王」「オセロ」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」「真夏の夜の夢」等悲劇、喜劇が浮かびますね。
嘗て、インドが大英帝国最大の植民地で在った頃、「インドは失っても、シェークスピアは失いたくない」とイギリスでは、言われていました。
さて、この世界的に有名なシェークスピアの生い立ちが、実際の処、良くわからないのです。

 1964年4月は、「シェークスピア生誕400年祭」がイギリスで行われ、記念行事も多数開催されました。
シェークスピアは1564年4月23日に生れ、1616年4月23日に死去した事になっています。
しかし、実際には、彼の生没は、きっちりと判明している訳ではなく、彼が生れたとされる、ストラト・フォン・エイヴォン市の教会には、1564年4月26日に洗礼を受けた記録が、存在していますが、キリスト教では、生後まもなく洗礼を受けてキリスト教徒に成りますので、誕生は多分洗礼を受けた日から、それ程遠くない日であると推定され、更に没年月日が極めて近い為、同月日にされた(!)らしいのです。

 現在判明している、彼の生い立ちでは、実家は皮細工商で、父親は一時町の名誉職に就きましたが、稼業に失敗し、其の為シェークスピアは、学校教育もまともに受ける事が出来なかったと伝えられています。

 処が、彼の作品はどれも、相当の教育を受けた、ギリシア、ローマの古典にも通じた人物でなければ、書く事が出来ない様に見受けられます。
その為、「“ストラト・フォン・エイヴォン”で生れたシェークスピアと多くの作品を残したシェークスピアは別人で在り、他の人物が彼の名前を借りて、是等の作品を書いたのだ」と云われ、一部には、哲学者フランシス・ベーコンの名前や、劇作家マーローの名前さえ称えられた事が在りました。
今から40年以上前に成りますが、とある人物が、劇作家マーローの墓所を調査すれば、本当は、マーローがシェークスピア劇を書いた事を証明できるとして、イギリス政府の許可を取り(!)彼の墓所を調査しましたが、証拠の発見には至りませんでした。

 又、シェークスピアは短詩(ソネット)も書いていますが、「それ等は、国王ジェームズ一世の宮廷に仕えていた人物で無ければ、書く事は不可能で、常に創作活動を行い、劇場に出入していた人物が書いたとは思えない」と詩人で文学博士のブランデン氏が述べた事が在ります。
実在を疑われた、著名人は“キリスト”“マホメット”“シャカ”等多数存在しますが、シェークスピアの様に、比較的時代が新しい人物で、その実在を疑われている事は、珍しいと思われます。

 現在でも多くの専門分野の方々が、シェークスピアについて、文献を著していますが、基本部分として、彼の伝記が明確でない事に起因しているのです。
何時か、これ等の疑問に答える、明確な当時の文献が発見され、謎が謎で無くなる時が来るでしょうが、例え本当の作者云々が無くても、シェークスピア劇の面白さ、巧妙さは、色あせません。

続く・・・

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