2012/01/12

人類の軌跡その280:過去の記事から⑧

<ナポレオンは毒殺されたのか>

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 1769年8月15日、地中海のコルシカ島で、下級貴族の息子として生れた、ナポレオン・ボナパルトは、1821年5月5日アフリカ西南に位置する、セント・ヘレナ島で51歳で他界しました。
ナポレオンは、この島で、極僅かな人々に看取られながら息をひきとります。
彼の最後の言葉は、「フランス・・・軍隊・・・ジョセフィーヌ・・・」で在ったと云われています。

 彼の死因は、胃癌で在ったと伝えられ、ナポレオン自身も自分は、癌であると思っていました。
彼は死去する一週間程以前に、彼の主治医であるアントマルシに「こう吐いてばかりいるのは、私の病気が胃にあるせいだろう。多分私も、父と同じ胃癌だろう」と語り、そして「自分の息子(フランソワ・シャルル・ジョセフ・ボナパルト)に会ったら、癌にならない様に薬を与えて欲しい」と頼んだと伝えられています。

 さて、時は流れて第二次世界大戦の終結後、ナポレオンの遺髪を分析してみると「ヒ素」が発見され、彼は多分イギリス人によって毒殺されたと推察されました。
ナポレオンの晩年については、比較的詳細に記録が残されており、この部分も検証する事が可能です。

 セント・ヘレナ島は、南緯16度付近に位置し、熱帯で湿度の高い島で、ナポレオンは熱帯で在りながら、時々湿気避けの為にストーブを焚かせていますが、この様な気候の為か、ナポレオンは病気がちに成っていきました。
1816年5月イギリス軍軍医ウォルデンが、ナポレオンを診察した時、ナポレオンは発熱を訴えましたが、健康と診断されたにも関わらず、その年の8月には、毎日の頭痛をフランス人医師オメーラに訴え、その後も度々同様の症状を示していますが、是は湿度と暑さの為と思われます。
10月には、歯が痛み一切の面会を拒否、11月には発熱の為、寝たきりに成ります。
オメーラが「長生きをする為には、もっと運動を為さらなくては」と勧めると、ナポレオンは、「1日も早く死んだ方が良い」と言ったと記録されています。
翌1817年3月には、神経痛が発祥し、夏には腹部に痛みを感じ、気管支炎に成り、足や唇に浮腫みが現れますが、是を赤痢とした記録と、胃癌の兆候であるとする記録が存在します。

 一方、ナポレオンの病は、虚構でフランス人医師オメーラは、病気であると宣伝していると言う噂が立ち、彼はフランス本国に召還されてしまいます。
1819年1月には、肝臓病にかかるものの秋には、回復し1820年夏迄は、平穏な時間が過ぎました。
しかし、11月から再び肝臓の痛みがひどく、気を失う事も在り、1821年2月には、胃の痛みが激しく、手足が冷え、食欲、記憶ともに減退し、3月には吐血、嘔吐が激しく、食事も殆んど不可能に成り、5月5日を迎えたのでした。

 1819年9月から、ナポレオンの伯父フェシュが、医師アントマルシをセント・ヘレナ島に送り、身の回りの世話を行っており、アントマルシは、ナポレオンの遺言に従って、遺体を解剖しました。
確かに、胃癌でしたが、肝臓は余り悪くなく、肝臓が本当に悪くないのであれば、毒殺にしろ、胃癌にしろ不自然です。
症状から判断すれば、毒殺説も成り立たないようで、解剖から胃癌が確認されたのなら、胃癌が死因と認める方が良いのですが、医師が度々、替えられた事、又ナポレオンの投薬、食事は、厳しく管理されていたのは、毒殺を警戒した為であるので、毒殺説は成り立ち難いと思われますが・・・。

続く・・・
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