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2012/01/17

人類の軌跡その284:シベリア出兵その②

<シベリア出兵その②>

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◎原 敬の果たした役割その1

 この出征期間4年3ヶ月のうち、原敬は3年4ヶ月に渡って首相を務めました。
原は農商省及び外務省に在籍経験の有る、官僚出身なのですが、実質初めての政党政治を開始した人物でした。
志半ばにしてテロに倒れますが経綸、人格共に一流の人物で在った事は疑い在りません。
その様な人物がトップに居ながら、なぜシベリア出兵が長期化したのでしょう。
理由として、この時代国民の意識と離れて政治を行う事が困難に成った事、軍部・外務省の情報判断の失敗と其視野の狭さを部門の長が補う事が出来なかったのです。
そして出兵を長期化させたのが、尼港事件でした。

 外交上の問題はアメリカの存在でした。
イギリス、フランスは日本にシベリア出兵を要請しますがアメリカが反対し、少数の陸軍軍人の内心は、将来的に沿海州での傀儡政権樹立をアメリカに見抜かれたと考えていたのでした。
更には、一部アメリカ鉄道資本がシベリア鉄道に関心がある為であると考えたのです。
軍人の欠陥は、外国を善意で見ず、常に敵愾心で眺める事でした。

 又、当時今日から見れば興味深い現象ですが、イギリスを軽視しアメリカを重要視する傾向が、大衆の中に存在していました。
現実の問題として、既に世界経済の中心がアメリカに移行している事を大衆の方が理解していたのかもしれません。
この時、アメリカはボルシェビキとの協調を思考していました。
以後の政策から意外にも感じますが、第1次大戦でアメリカは、途中での部分講和を禁止する1914年のロンドン協約に参加していません。
この為、イギリス、フランスや日本と異なり、ボルシェビキ政権の違約=ブレストリトウスク講和に異議を唱える事は在りませんでした。
又アメリカの根本的外交政策の立脚点に孤立主義が存在し、他国に軍事介入する事へ常に警戒的で在った事も事実なのです。
そして介入するのであれば、日本と共同歩調を選択したかったのでした。

続く・・・


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