2012/01/21

人類の軌跡その287:シベリア出兵その⑤

<シベリア出兵その⑤>

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◎兵士にとっての大義その2

 シベリア出兵は日本人側で無く、ロシア人側に有利に働きました。
そして軍人も日本の歴史家も取り上げず、この出兵で貢献できた事は、この4年3ヶ月シベリアに飢饉が生じなかった事でした。
この全期間を通じて、ヨーロッパロシアは人肉市場ができるまでの食料不足に喘ぎ、少なくとも1000万人以上が1919年から1925年迄の間に餓死しました。
この事態は、ヨーロッパロシアの南部穀倉地帯で発生し、この事実は不思議に思えますが、飢饉は穀倉地帯の方が発生しやすく、日本でも米騒動は富山県から発生しました。
歴史的に見れば、飢饉になると首都等には、強制力をもって穀物が集約され、また首都に住む人間は流通ルートを熟知しており購買力が高く、穀倉地帯の周辺の都市にはそのいずれもが欠落しています。

 シベリアの食料は、満州を通過して得ており、東支鉄道は白軍が一貫して保持し、その先は南満州鉄道に接続しています。
日本軍の補給もボルシェビキの協力(!)も在り順調で、食料はシベリア全土でほぼ円滑に流通し、また治安も悪くは無く、結果として白系の人々の脱出に大いに貢献しました。
帝政ロシア軍の将校で白軍に加わった人々の60%はシベリアを経由し脱出し、またその後もパリの将校団がボルシェビキのスパイと化した事実と比較して、誇りを持って生きる環境は、極東の方により存在したのでしょう。
多くのロシア人将校、貴族は上海へと向かい、その後渡米しました。
日本軍が撤退した後、シベリアはラーゲリ(強制収容所)と軍事基地の集積地へと変貌していきます。

 この戦いに参加した日本兵は延べ約22万人、参加した兵士は参戦の理由に納得がいかなかったと、戦後も長く語り継がれます。
日本軍の兵士は国の要請に従い、それが義務だと思い戦い、或る者は極北の地に倒れ、彼らはおそらく第1次大戦で最後に倒れた兵士でした。
彼らを描写する言葉は、全てが始まった時1914年9月ロイドジョージの演説がふさわしいと思われます。
「国家にとって必要な永久に続く偉大なこと、それは平和の時代には忘れられている。名誉、義務、愛国心だ。輝く白衣に包まれて、犠牲の偉大な尖塔は遥かなる、天空を指している。」
そして4年3ヶ月は、シベリアが流刑地でなかった短い一瞬でも在りました。

シベリア出兵終了・・・


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