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2012/01/27

人類の軌跡その292:失われたイスラエルの10支族その④

<失われたイスラエルの10支族④>

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◎分  裂

 ヤラベアムを支持するルベン族、シメオン族、ダン族、ナフタリ族、ガド族、アシェル族、イッサカル族、ゼブルン族、エフライム族、マナセ族の10支族、そしてレビ族の一部が、サマリアを首都とする「北イスラエル王国(北朝)」の建国を宣言し、一方、ソロモンの息子を正統と考えるユダ族、ベニヤミン族の2支族、そしてレビ族の一部は、エルサレムを首都とする「南ユダ王国(南朝)」の建国を宣言します。
 
 イスラエル統一王国の分裂は、単に政治的な面に留まらず、宗教的な面に於いても分裂を引き起こし、南ユダ王国は、以前と同じ様にソロモン神殿で「絶対神ヤハウェ」を信仰していましたが、一方北イスラエル王国は、黄金の子牛像を作り、これを礼拝する事により、偶像崇拝に陥り、後に「ヤロベアムの罪」と呼ばれています。
北イスラエル王国の偶像崇拝は、日毎に激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝し始め、そして、最終的には本来の古代ユダヤ教とは全く異質な信仰と化してしまいます。
『旧約聖書』では指摘されている通り、偶像崇拝がイスラエル10支族の霊的堕落の大きな原因と成りました。
「神」は北イスラエル王国にエリヤ、エリシャ、ホセアといった預言者を送り、民族の霊的回復を図りますが、この預言者達の必死の呼びかけも空しく、もはや信仰的回復は不可能とでした。

◎アッシリア帝国と新バビロニア王国

 紀元前722年、メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国を攻略します。
必死の防戦も虚しく、北イスラエル王国は滅亡し、しかもイスラエル10支族は、そのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚( ニネベ捕囚)されてしまいました。
アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した・・・」と記録されています。

 北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした、南ユダ王国のユダ族中心を中心とするイスラエル2支族は、改めて偶像崇拝を自戒し、「ダビデ王統」を守り続けて行きます。
時が経ち南ユダ王国もまた同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、 新バビロニア王国によって滅亡、南朝のイスラエル2支族はバビロンへと移送され、不滅と伝えられた「ソロモン神殿」は破壊され、ユダ族の人々は国も神殿も王も失い、遠くバビロンの地で捕囚の身と成りました。

続く・・・


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