2012/01/30

人類の軌跡その294:時には日本について①

<日本武尊①>

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火の鳥 ヤマト編より

◎はじめに

 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、景行天皇(垂仁天皇と日葉洲姫の子)の第二皇子でした。
双子の兄の大碓皇子が、天皇に従順で無く、弟である小碓皇子に注意を促すと、大碓皇子が小用中に殺害を行い、その豪胆さが、天皇を恐れさせました。
その為、皇子は皇太子の地位に在りながら、日本中を遠征し、大和朝廷(三輪王朝)の勢力範囲を大いに広げる事に成ります。

◎熊襲征伐と出雲平定

 九州の熊襲(クマソ)がその勢力を広げ、これを征伐するよう命じられます。
小碓皇子は女装して熊襲の王である川上梟師(カワカミタケル)の宴に紛れ込み、川上梟師は小碓の美しさに目を付け、近くへ寄せ、酌をさせいろいろと戯れます。
やがて宴も終わりに近づき、人影も疎らに成り、王もこの美女と今夜は楽しまれるのだろうと周囲が思い、側を離れた頃、突然隠し持っていた剣で川上梟師の胸を刺したのでした。

 その時初めて、小碓皇子がその名を名乗ると、川上梟師はその大胆さに感心し、以後は「日本武皇子(ヤマトタケルノミコ)」と名乗られるようと言い残して息絶えます。(この話の意味は、今迄は自分がこの国で最も強いと考え「たける」を名乗っていましたが、その自分を倒したのだから「たける」の名を譲る、としたのです)

 後に、出雲の勢力が従わなかった時、再び皇子が派遣され、皇子は初め出雲の首長・出雲建と友好を結ぶ仕草を見せ、頃合いを見て山中に誘い出します。
そして肥の川で沐浴をしている最中に、彼の刀を模造刀とすり替えてしまい、そして「太刀合わせをしましょう」と言って刀を抜くのですが出雲建の剣は模造品、焦っている間に皇子に切られてしまいました。

 小碓皇子は「日本武尊」等という勇ましい名前に似合わず、恐らくは細身の、小柄な人だったのでしょう。
腕力も強くなかったのかもしれませんが、だからこそ女装等も自然に出来たと思われ、自分に足りない腕力を知恵で補って、敵対勢力を倒して行ったものと思われます。

続く・・・


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