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2012/01/31

人類の軌跡その295:時には日本について②

<日本武尊②>

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火の鳥 大和編より

◎東国征伐

 そしてこの年、小碓皇子は東国の征伐を命じられます。
西国は大陸との交通路であり、古くから大和朝廷も重視していたと思いますが、東国は崇神天皇の御代に、四道将軍の大彦命と武渟川別の征伐が有る程度で、大和朝廷の勢力がそれ程及んでいる地域では無く、苦戦が予想されました。
10月7日、皇子は伊勢に立ち寄り、20~30年前から、その地では皇子の叔母である倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神(アマテラスオオミカミ)の祭祀を行い、皇子は恐らく、この遠征が自分の最後の仕事に成る事を予想し、叔母に挨拶に行ったと思われますが、倭姫命は皇子に御神宝の天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)を授け、心して行くよう告げました。

 この剣は昔素戔嗚尊(スサノウノミコト)が八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を倒した時に、その尾から出たと伝えられる剣で、天照大神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が、この国に御降臨した時に、一緒に持参したと云う由緒ある宝刀でした。
倭姫命は、この征伐は正に神のご加護が必要である事を感じたと思われます。
皇子が駿河の国(静岡県東部)迄出向いた時、皇子達一行を狙って草むらで、火攻めに遭遇しますが、皇子はこの時、この剣で周りの草を切り払い、火攻めを防ぎました。
この故事により、この剣はその後、草薙剣(クサナギノツルギ)と呼ばれる様に成り、この場所もこの故事により焼津と呼ばれる様に成りました。

 相模(神奈川県)からは海路を通って上総(千葉県)に渡りますが、武蔵国(東京都)付近に強力な勢力が存在した為、衝突を避けたと思われます。
この時も、途中で海が荒れ、一行を乗せた船が遭難仕掛かる程でした。
その時、この旅に同行していた皇子の妃の弟橘媛が「これは海神の仕業でしょう。私が皇子の身代わりに海神様の所へ参ります」と言って、海に入ると暴風雨は直ぐに止みました。

 皇子の一行は弟橘媛のお陰で無事上総に到着する事が出来、其処から常陸(茨城県)・甲斐(山梨県)へと進み、やがて碓氷峠に差し掛かった時、皇子は東南の方角を顧みて、海の底へ消えた妻の弟橘媛の事を想い「ああつまや」と涙を流します。
この故事に因んで、この地方を「あづま」と呼ぶ様に成りました。
皇子はここで吉備武彦に軍勢の一部を分け、越国(北陸)の方に回るよう命じて、自らは信濃(長野県)へと進みます。

続く・・・


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