2012/02/06

人類の軌跡その300:新大陸へ④

<大航海時代④>

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◎大西洋 

 ポルトガルはアフリカ大陸を南下してインド航路を開拓しましたが、当時のスペインは、ポルトガルに完全な遅れを取っていました。
バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達した段階(1488年)で、ポルトガルが直接インドに到達出来る事は既に可能でした。
ポルトガルは、人命を掛けて開拓したインド航路の独占を考える事は当然で、他国の船団がアフリカ西岸を南下出来ない様、早急に対抗策を実行に移して行きます。
「ギニア海岸に接近した外国船は、直ちに撃沈又は捕獲さるべき事。拿捕した船の士官と乗組員は、この方面に棲息するサメ群の中へ投げ込まれるだろう」
上記の文章は、ポルトガル王ジョアン2世の1481年布告で在り、既に喜望峰到達以前から、航路独占を視野に収めている事が理解出来ます。
1491年にはベニン湾のエル・ミナに大規模な要塞と倉庫の建設を開始します。

 従って、スペインがアフリカを廻ってインドを目指す事は、既に非常に難しい状態で、この時に登場する人物が、クリストバル=コロンで、彼はイタリア、ジェノバ出身の船乗りで、商売の関係からポルトガルの有力者の娘と結婚し、アフリカ沿岸の航海も経験しており、更にこの頃からコロンブスは地理書等を研究し、西廻りインド航路に関する研究を始めています。
当時イタリア人の地理学者トスカネリが「地球球体説」を唱え、コロンは西廻りでインドに到達する可能性を問い合わせ、賛成意見を貰いました。

 コロンはアラビアの地理書やマルコ=ポーロの『世界の記述』等、当時取得し得る限りの情報を収集し、大西洋を横断すれば、インドに到着可能と確信し、自分の計画をポルトガル国王に売り込みます。
しかし、当時ポルトガルでは、アフリカ廻りのインド航路開拓が着々と進行中であり、ポルトガルは彼の計画を受け入れませんでした。

 コロンは自分の計画をスペイン、イギリス、フランス等海洋進出に関して、ポルトガルに遅れている大西洋岸の国々に売り込ますが、協力する国は現れませんでした。
その理由として、成功するか否かが全く不明、しかも遠洋航海は当時莫大な費用を要し、一種の冒険に出資する価値を国家が見出せない事に在ります。
例えば、16世紀初頭ポルトガルが、インドに船団を送る為の費用は、1年で22万クルザードが必要でした。
ポルトガル王室は、その内5万クルザードしか用意できず、残りの資金はジェノバ、南ドイツの商人等からの借金で賄われ、大船団をインド迄送る事は、王室の財源だけでは賄えない程、莫大な資金が必要でした。
従って、当然コロンの計画を実行すれば莫大な資金が必要と成り、しかも成功するか否か一切の保障が無いのですから、如何なる国も躊躇してします。

 1492年、スペインがグラナダを陥落させてレコンキスタが終了し、財政的にも余裕ができたスペイン女王イザベラは、コロンの計画を受け入れる決定をします。
この時コロンは、スペイン政府に対して成功報酬も要求しています。 
その内容は、以下
1、インドで発見した宝の10分の1を自分の財産とする事。
2、発見した土地の総督と副王の地位。
3、大洋提督の称号授与。
4、スペイン貴族に列する事。
以上でした。

続く・・・

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