2012/02/07

人類の軌跡その301:新大陸へ⑤

<大航海時代⑤>

img1fa86b5dzikdzj_convert_20100120231202_convert_20101109190750.gif

◎クリストバル=コロンの航海

 コロンは、1492年8月3日パロス港を出帆、コロン自ら乗るのがサンタ・マリア号、積載能力150t、全長23m、幅7.5m、三本マストの当時としてはごく普通の船でした。
残りの二隻はピンタ号とニーニャ号、こちらはサンタ・マリア号の約半分の大きさです。
しかし、乗組員は、なかなか集まりませんでした。
前人未到の西廻り航路で、インドに(辿り)着く事が可能なのか、途中で世界の端に存在する(と信じられた)大滝に落下するとも云われ、苦肉の策で、囚人も帰還後の特赦を条件に乗船させた為、未熟練者が多数を占める事と成りました。

 出帆後約2ヶ月間陸地を見る事無く、西への航海が続き、陸地が見えない事に船員の不安が高まり、反乱勃発寸前に迄なりますが、コロンは成功時の報酬を上乗せし、時には脅し航海を続け、遂に10月12日に現地ではグアナハニと呼ばれる島を海上に望見し上陸しました。
この島が、現在のサン・サルバドル島です。

 以前、ヨーロッパ人に取って歴史的発見をコロンの「新大陸発見」と伝えていました。
しかし、アメリカ大陸には数万年前から人類が居住し、この表現はヨーロッパ人の「新大陸」「発見」でしか無く、現在では、ヨーロッパ中心の偏った表現として意識的に避けられ、「大航海時代」と呼ぶ事が今では一般的です。
更に、この航海でコロンは西インド諸島の島々を探検しましたが、アメリカ大陸本土には到達していません。
サン・サルバドル島に上陸したコロン一行は、此の地をスペインの領土と宣言します。
その後約三ヶ月間コロンブスは、周辺の海域や島々を探索し、インドへの入り口を探査します。

 この間にもコロン艦隊には事件が発生し、11月にピンタ号が行方不明に成り、12月にはサンタ・マリア号がハイチで座礁し、残りはニーニャ号一隻だけと成りました。
全員の乗船は不可能であり、サンタ・マリア号の材木を利用して砦を造り、39名を残して1月、コロンは帰路に就きました。
香辛料の発見は出来ませんでしたが、インド(カリブ海)周辺に到達し帰還した事は事実で、コロンの航海は大成功として受け取られ、彼はイザベラ女王の前で報告会を開き、持ち帰った金を女王に献上し、連れ帰った7人の原住民に賛美歌を歌わせました。

 1493年、コロンは第2回目の航海を行い、今回は17隻の大船団を率い、総勢1500人の探検隊を組織しますが、ハイチの砦に戻ると残留した船員39名は、原住民の襲撃を受けて全滅していました。
香辛料の発見は今回も叶わず、香料発見に関する目的は完全に失敗で在り、最終的にコロンは、合計4回の大西洋横断航海を実施しするものの、到達した場所がインドの一部で在る証拠を遂に発見できず、コロンが到達した場所はインドやアジアではないとの主張も日増しに多く成り、コロンは失意の晩年をおくりました。

続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント