人類の軌跡その302:新大陸へ⑥
<大航海時代⑥>

アメリゴ=ヴェスプッチ 新大陸到達
◎クルストバル=コロン以後
コロン以後、多くの探検家が大西洋を横断しアメリカ大陸に向かいました。
1、ポルトガル人の船乗りカブラル
ヴァスコ=ダ=ガマが1498年第1回目のインド航海から帰った後、ポルトガル政府から、インドに派遣されました。ところがアフリカの西を南下している途中で嵐に流され、大西洋を横断してしまい、漂着した場所が現在のブラジルでした。
コロンブス以来アメリカ方面は基本的にスペインの勢力範囲になりますが、カブラルによってブラジルだけはポルトガル領と成り、現在でも中南米諸国の国語は、スペイン語ですが、ブラジルだけはポルトガル語です。
尚、カブラルが帰国せず、ポルトガル王は、再度ガマにインド航海を命じます。
これが、ガマ二回目のインド航海と成ります。
2、イタリア人アメリゴ=ヴェスプッチ
彼はアメリカ大陸へ向かった航海者達の記録を検証し、アメリカがアジアでは無い事を論証しました。
アメリカの呼び名は、アメリゴに由来します。
3、バルボア
アメリカ大陸がアジアとは全く別の土地ならば、インドは更にアメリカ大陸の先に存在する事に成ります。
当時の地理的知識は不十分でしたから、アメリカ大陸の姿も判明せず、多くの探検家がアメリカ大陸の向こう側に抜け様と探索を行いました。
アメリカ大陸で、東西が一番細い箇所がパナマ地峡で在り、この場所を横断して太平洋を初めて望見した人物がスペインのバルボアでした。
彼は黄金を求めて、探検していて偶然パナマ地峡を横断しました(1513年)が、特にアジアに繋がる海を探索していた訳では在りません。
4、マゼラン
マゼランは、ポルトガルの船乗りで、インドやマラッカに航海した経験も豊富でしたが、待遇問題でポルトガルに不満を感じてスペインに移ります。
ポルトガルはインド航路で巨万の富を手中に収め始めていた時期でも在り、スペインも早く西廻り航路でインドに到達したいと考えていました。
マゼランは、この実現を期待されて1519年、5隻の船に約250人の船員を乗せて出帆、南米大陸南端の海峡、後にマゼラン海峡と名付けられた、この荒れ狂う海峡を通過して太平洋に出たのは有名です。
そのまま彼は、世界周航を成し遂げました(1519年~1522年)。
続く・・・

アメリゴ=ヴェスプッチ 新大陸到達
◎クルストバル=コロン以後
コロン以後、多くの探検家が大西洋を横断しアメリカ大陸に向かいました。
1、ポルトガル人の船乗りカブラル
ヴァスコ=ダ=ガマが1498年第1回目のインド航海から帰った後、ポルトガル政府から、インドに派遣されました。ところがアフリカの西を南下している途中で嵐に流され、大西洋を横断してしまい、漂着した場所が現在のブラジルでした。
コロンブス以来アメリカ方面は基本的にスペインの勢力範囲になりますが、カブラルによってブラジルだけはポルトガル領と成り、現在でも中南米諸国の国語は、スペイン語ですが、ブラジルだけはポルトガル語です。
尚、カブラルが帰国せず、ポルトガル王は、再度ガマにインド航海を命じます。
これが、ガマ二回目のインド航海と成ります。
2、イタリア人アメリゴ=ヴェスプッチ
彼はアメリカ大陸へ向かった航海者達の記録を検証し、アメリカがアジアでは無い事を論証しました。
アメリカの呼び名は、アメリゴに由来します。
3、バルボア
アメリカ大陸がアジアとは全く別の土地ならば、インドは更にアメリカ大陸の先に存在する事に成ります。
当時の地理的知識は不十分でしたから、アメリカ大陸の姿も判明せず、多くの探検家がアメリカ大陸の向こう側に抜け様と探索を行いました。
アメリカ大陸で、東西が一番細い箇所がパナマ地峡で在り、この場所を横断して太平洋を初めて望見した人物がスペインのバルボアでした。
彼は黄金を求めて、探検していて偶然パナマ地峡を横断しました(1513年)が、特にアジアに繋がる海を探索していた訳では在りません。
4、マゼラン
マゼランは、ポルトガルの船乗りで、インドやマラッカに航海した経験も豊富でしたが、待遇問題でポルトガルに不満を感じてスペインに移ります。
ポルトガルはインド航路で巨万の富を手中に収め始めていた時期でも在り、スペインも早く西廻り航路でインドに到達したいと考えていました。
マゼランは、この実現を期待されて1519年、5隻の船に約250人の船員を乗せて出帆、南米大陸南端の海峡、後にマゼラン海峡と名付けられた、この荒れ狂う海峡を通過して太平洋に出たのは有名です。
そのまま彼は、世界周航を成し遂げました(1519年~1522年)。
続く・・・
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