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2012/02/10

人類の軌跡その304:大航海以後①

<スペインとオランダ>

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スペイン王カルロス1世・神聖ローマ帝国カール5世

◎主権国家の成立

 大航海時代と同時期、イタリアを舞台に戦争が起こりました。
是をイタリア戦争(期間1494年~1559年)と云い、分裂状態に在ったイタリアの支配権を巡り、ドイツ皇帝、フランス王、スペイン王が覇権を競った戦争でした。
複雑な国際関係が、当時既にヨーロッパには誕生し、ヨーロッパはこの時期に成り、漸く国家が成立してきました。
正確に言えば「主権国家」です。

 以前、主権国家は存在せず、例えばイギリス国王がノルマンディー公として、フランス王の家臣として存在していました。
現実問題として、王の権力が及ぶ範囲が明確で無く、又その様な混沌とした世界が中世ヨーロッパでした。
商工業の発展に伴い、商工業で経済力をつけてきた市民階級を味方にした王が政治の中心として確固たる地位を得、その王達が主権を争ったのがイタリア戦争でした。
 
主権国家と云う国家は、誕生してまだ500年程度歴史しか存在せず、アジアや古代国家、は主権国家では無く、「王朝」国家と考えられます。

◎スペインの繁栄と衰退

 コロンブスをアメリカ大陸に送り出したスペインは、16世紀になって絶頂期を迎えます。
その絶頂期を迎える国王は、カルロス1世(在位1516年~1556年)、母親がスペイン王女の家系で在り16歳でスペイン王位に就き、父方の祖父がハプスブルク家神聖ローマ皇帝出身の為、彼はハプスブルク家の出身となります。
スペインだけでなく、ハプスブルク家の領地も相続するので、カルロス1世の領土は膨大な広さを誇り、スペインはもちろん、ネーデルラント、オーストリア、南イタリア等、そしてアメリカ大陸の殆どの部分をも領土と成りました。
 
 更に、1519年には神聖ローマ皇帝に選定され、神聖ローマ皇帝としての名前はカール5世。
皇帝は、宗教改革と其れに伴う内乱、オスマン=トルコ帝国によるウィーン包囲等、困難な問題に直面し、大事件が続発しました。
結局、宗教改革の混乱は、アウグルブルグの宗教和議(1555年)で収拾されますが、この時にカール5世は退位し、オーストリア領地と神聖ローマ皇帝の地位を弟フェルディナントに継承させ、スペイン、南イタリア、ネーデルラント、アメリカ植民地を息子フェリペに譲りました。
この結果、ハプスブルク家は、オーストリア・ハプスブルク家とスペイン・ハプスブルク家に別れます。
カルロス1世は神聖ローマ皇帝カール5世としての活動が、歴史上重要で、スペイン王としての影は薄く、彼は、生まれも育ちもフランドル地方、今のフランス北部からベルギー一帯の為、スペイン語が流暢に話せたのかは疑問です。

続く・・・

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