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2012/02/14

人類の軌跡その306:大航海以後③

<スペインとオランダその③>

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◎オランダの台頭

 フェリペ2世時代にスペインの領土で在ったネーデルラントは、現在のベルギー、オランダの地域で在り、古くから商工業が発達し、経済的に繁栄していました。
地理的には東ヨーロッパと西ヨーロッパ、イギリスを結ぶ交通の要衝で、ハンザ同盟都市として繁栄、毛織物工業が隆盛し、百年戦争の原因の一つはこの地域の帰属問題でした。
ネーデルラントでは、富裕な商工業者の発言力が強く、彼らがこの地域の牽引役であり、宗教はカルヴァン派が多数占めます。
カルヴァン派は蓄財を認めますから、商工業者に信者が多く、ネーデルラントの人々は経済的な利害を共にし、団結力が在りました。
傑出した英雄や指導者は存在しませんが、市民達一人一人が協力して、ネーデルラントを発展させました。

 ネーデルラントの人々の立場では、自分達の住む「地域」は、封建領主の結婚で所有者が変わり、スペイン、フェリペ2世の領土に成っているだけで在り、スペインに対して忠誠心は存在しません。
フェリペ2世は、ネーデルラントの都市に重税を掛け、更には宗教もローマン=カトリックを強制しました。
この様な要因が重なり、1568年、ネーデルラントの人々は独立戦争を開始したのでした。

 指導者はネーデルラントの名門貴族オラニエ公ウィレム。
フェリペ2世はスペインから軍隊を派遣、ネーデルラント側との戦いが開始されました。
当時スペインは強国ですから、その軍事力は強大で在り、その最中ネーデルラント南部10州が独立戦争から脱落します。
南部はローマン=カトリックの信者が比較的多い事も脱落の原因でした。
これに対して、北部の7州は、粘り強く戦闘を継続、1579年ユトレヒト同盟を結成します。
ここで重要な事は、ネーデルラントは本来統一国家では無く、都市、州等の地域毎に団結していました。
ユトレヒト同盟は1581年に独立を宣言、ここにネーデルラント連邦共和国が成立しました。
但し、スペインはネーデルランドを放棄した訳では無く、この後も戦争は続いて、1609年スペインと休戦条約が締結され、事実上の独立を達成しました。
因みに脱落した南部10州は、後のベルギーと成ります。

 ネーデルラント独立戦争は、イギリス女王エリザベス1世がネーデルラント側を援助しています。
ネーデルラントの商人達は、スペインとの戦争中も、海外貿易を活発に繰り広げていました。
当時、海外貿易に利用できる大型帆船は、ヨーロッパ全体で2万隻、その内ネーデルラント船籍の船が1万6千隻でした。
17世紀前半のネーデルラントは、最先端の造船技術を誇り、フランス等から新教徒の商工業者が多数ネーデルラントに移住し、ヨーロッパの中で唯一無二の経済的な地位を獲得、アムステルダムは国際商業・金融の中心として繁栄しました。
その貿易の中心を担う事と成るのが1602年に設立されたオランダ東インド会社で、この場合、東インドと云う名称は、正にアジアを意味しています。
コロンブスがアメリカ大陸をインドと思いこんだ影響で、アメリカ大陸方面をインドと呼ぶ慣習が出来、実際のインドと区別する為にアメリカ大陸一帯を西インド、インド亜大陸及びアジアを東インドと呼ぶ習わしが存在した名残です。
やがて、オランダは衰退の一途を辿るスペインに代わり、アジア・アメリカ貿易を手中に収める事と成ります。

続く・・・

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