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2012/02/18

人類の軌跡その310:大航海以後のアメリカ大陸③

<アメリカの征服とヨーロッパの変容その③>

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◎アステカ帝国の征服

 コロンブス以来スペイン人によるアメリカでの植民地経営は、当初キューバ島、イスパニョーラ島が中心で在り、アステカ帝国、インカ帝国の存在知られていませんでした。
原住民の奴隷狩りに向かった船が、ユカタン半島に漂着した事で、初めてスペイン人はマヤ人に接触しました。
マヤ文明は衰退していましたが、マヤ人はそれまでスペイン人が知り得ていたインディヘナとは全く異なる高い文明を保持し、そのマヤ人の情報からアステカ帝国の存在を知ります。

 アステカ帝国の征服を試みた人物がコルテスで、征服に成功すれば莫大な財宝と地位と名誉が手中に出来ます。コルテスは強引で野心的な人物で、キューバ総督の制止命令を無視して遠征に向います。
兵力は約500名、馬16頭、銃50丁と武力としては極めて非力で、対するアステカ帝国の首都テノチティトランの人口は20万人以上です。
国を征服する将兵の数が500名なのは、戦略的にもアンバランスなのです。
この遠征に先立ち、コルテスはアステカ帝国の首都に侵攻する以前に、周辺の民族からアステカに関する詳細な情報収集行います。
アステカ帝国は、メキシコ高地の民族の中では、後発のアステカ族が建設した比較的新しい国家で在り、その強力な武力を全面に利用した支配の為、支配下に在る多くの民族から反感を買っていたのでした。

 支配民族からの反感の例として、宗教儀式に関して、アステカ族は太陽神を信仰していますが、この太陽神の活力が衰える事を防ぐ為、生贄を捧げる儀式を毎日の様に行なっていました。
当然ながら生贄は生きた人間で、彼らはアステカ族に支配された他民族の捕虜でした。
しかしながら、アステカ族以外の民族は、太陽神を信仰している訳では在りませんでした。

 アステカ族以外のメキシコ高原種族を従え、進撃するコルテスの情報を耳にしたアステカ王は、反抗をする事を躊躇します。
この行動には、アステカ族の神である、「ケツアルコアトル」と白人であるコルテス一行を誤解した事に拠ります。
コルテス一行がメキシコ高原に侵入した頃、正に伝説の神「ケツアルコアトル」がアステカ族の前に戻って来ると伝えられた時期と、偶然符号していたのでした。
やがて首都テノチティトランに無血入城したコルテスは、無抵抗のアステカ王を捕らえ、自分の傀儡としました。
その後、王の不甲斐なさに激昂したアステカの人々が、コルテス不在の隙を見てスペイン軍に反乱を起こします。この時に捕えられたスペイン人の捕虜が、太陽神の生贄にされ、コルテス側は反乱を鎮圧する為、多大な労力を費やし、この過程でテノチティトランは徹底的に破壊されてしまいました。
最終的に1521年、スペイン側がアステカ帝国を滅ぼします。

続く・・・(平成24年2月20日改訂)


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