2012/02/21

人類の軌跡その312:大航海以後のアメリカ大陸⑤

<アメリカの征服とヨーロッパの変容その⑤>

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◎インカ帝国の征服その②

 アタワルパは、ピサロ一行を運命の町カハマルカで待ちます。
やがてピサロは、使者をアタワルパのもとに遣わして会見を申し込みます。
一方、アタワルパはまず会見に臨み、後にピサロ一行を捕えて奴隷にする魂胆から会見を承諾し、場所はカハマルカ中央の広場と決まります。

 最盛期の人口1600万人、統治下の諸氏族80と兵力で段違いに劣るピサロ側の作戦は、奇襲によってアタワルパを生け捕り、インカ軍の動きを封じる事でした。
ピサロは以前、コルテスから王を生け捕りにする事が出来れば、如何に軍隊が強力でも、スペイン側に平伏す事を聞いており、事前に兵士を広場の周りに配置します。
しかし、スペイン兵の中には圧倒的な敵軍の前に怯え、正気を失う物も居たとも記録されています。

 会見の当日、インカ軍3万は町の広場に入場しました。
其処にピサロは、数人の側近と宣教師を伴い近づいて行きます。
アタワルパは、警護の兵士が担ぐ輿に乗り、ピサロとアタワルパが挨拶を交わした後、宣教師がアタワルパに聖書を渡し、アタワルパは聖書を手に取りページを捲るのですが、インカには文字の概念が存在せず、文字を連ねた本も当然存在しません。
更に、宣教師の言葉は、スペイン語であり両者に意思の疎通を求める事自体、無意味な会見でした。
聖書を渡されても、何の意味も無く、アタワルパが聖書を地面に落とした時、宣教師が「神に対する冒涜だ!」と大声で叫んだのでした。
これを合図に、ピサロは輿に飛び乗るとアタワルパを引きずりおろし、同時に隠れていたスペイン兵が一斉に広場に結集しているインカ軍に対して銃撃を加えました。

 インカ軍にとって、銃は全く未知の兵器であり、突然轟音が轟き、その度に見方の兵士が倒れて行く光景にパニック状態と成りました。
しかも、彼等が終結した広場は、壁に囲まれ、逃げようと出口に殺到した事で混乱に拍車を掛け、押しつぶされて死んだインカ兵も多数存在したと云われています。
大混乱の中でピサロは、アタワルパを生きたまま捕虜とし、王が人質と成ったインカ軍は、抵抗する事が全く不可能に成りました。

 インカ帝国はピサロと200人に満たないスペイン兵によって征服されましたが、捕虜と成ったアタワルパは、ピサロ一行の目的が黄金で在る事に逸早く気づきます。
アタワルパは、自分が囚われている牢獄の中で背を伸ばし、更に真直ぐ伸ばした腕で壁に線を引き、ピサロに告げました。
「この部屋をこの線迄、黄金で満たし、他の2部屋を銀で満たしたら、釈放してくれるか?」
その言葉を聞いたピサロは、当然の様に釈放を約束したので、アタワルパは牢獄の中から帝国の全領土に対して、黄金を集める様に命令を発します。
中央集権的な国で、合理的な通信伝達手段を持っている為、人民は王の命令に従い、町や村、貴族から平民迄黄金が差し出され、極めて短時間に牢獄は黄金で満たされて行きます。
しかし、ピサロが約束を履行する筈は無く、1533年8月、極めて形式的な裁判を開きアタワルパを処刑し、マンコ・インカ・ユパンキを傀儡皇帝として即位させ、インカ帝国を事実上支配しました。

 後にスペイン側の内紛に乗じて、1536年マンコ・インカ・ユパンキは、クスコ奪還に一度は成功しますが、僅かな間に再度クスコを占領され、彼はビルカバンバに後退するも36年間に渡って、スペイン人に対してゲリラ活動を展開しますが、インカ最後の皇帝の子孫、トゥパック・アマルが遂にスペイン軍に敗北。
1572年インカ民族のスペインに対する反抗は、終止符を打ちました。

続く・・・


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