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2012/02/22

人類の軌跡その313:大航海以後のアメリカ大陸⑥

<アメリカの征服とヨーロッパの変容その⑥>

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◎スペインによる植民地支配

 スペインは、アメリカ植民地を経営する為に、エンコミエンダ制を導入します。
此れは、スペイン人の入植者に土地と現地人に対する支配権を与え、その代償として、入植者は原住民にキリスト教を布教する義務を負います。
この制度は結果として、スペイン人が被植民地の人民を事実上の奴隷とする政策に他成りません。

 最初スペインは、香辛料を求めてアメリカに到達したものの、香辛料は殆ど無いに等しく、結果的にスペインはカリブ海の島々で農園を経営し、サトウキビを栽培、この砂糖をヨーロッパに運び利益を得ようと考えました。
サトウキビ農園で働かされたのは奴隷と成った現地人ですが、彼等は過酷な奴隷労働に耐えられず、更にはスペイン人が持ち込んだ天然痘や「はしか」等の伝染病に対して、免役が全く無く、これも死亡率を高める大きな原因に成りました。
特に天然痘は、インカ帝国の全人口1600万人の60%から95%を死に追いやりました。

 奴隷を補充する為にキューバ島から、アメリカ大陸に奴隷狩りに向かった船が難破、偶然マヤ文明発見の発端を作りました。
最終的に、カリブ海周辺の島々で、先住民は絶滅し、労働力を補充する為にスペインは、アフリカ大陸の黒人を奴隷として送り込みます。
現在、ジャマイカ、ハイチ、キューバ等の国民の多数は、アフリカ系乃至スペイン系の子孫と成りました。

 アステカ帝国、インカ帝国の征服により、スペイン植民地は一気に拡大し、インカ帝国の旧領土では、ポトシに銀の大鉱脈が発見されてスペインに莫大な富をもたらす事に成りました。
多くのスペイン人は、インディヘナを奴隷扱いにした上、彼等に対する虐殺を人間に対する行為と考えておらず、キリスト教を知らない野蛮人に対する、罪悪感も存在しませんでした。

 しかし、スペイン人宣教師ラス・カサスは、インディヘナに対する非人間的な扱いに抗議を唱えました。
この人物は本来従軍司祭として、イスパニョーラ島やキューバ島で現地人の征服に付き従います。
そして村を制圧する方法は、まず、スペイン人達はインディヘナの村に入り、村人を集めスペイン王への服従とローマ教会への改宗を勧告しますが、この勧告はスペイン語で行われ、聞いている現地人達には言葉の意味さえ不明な為、当然降伏も改宗も返答する事は事実上不可能でした。
これをスペイン人は拒否と見做して武力で征服し、時には虐殺も行われ、ラス・カサス自身もキューバ西部カオナオ村で3000人を虐殺した、現場に居合わせました。

 征服戦争に参加した功績でラス・カサスは、土地とインディヘナを手に入れますが、或る日聖書を読んでいて改心し、それ以後、自分の所有していた現地人を解放し積極的にインディヘナの救済運動を開始します。
時のスペイン国王にインディヘナの待遇改善を訴え、その実態に関する報告をヨーロッパに送りました。
相次ぐ反乱や急激な人口激減で、労働力不足も問題に成り、スペイン王カルロス1世はラス・カサスを招いてインディヘナ問題の会議を招集、1543年に彼等の待遇改善の関する新しい法律が発布されます。
効果の程については判断できませんが、当時、現地問題を提起したスペイン人も存在した事は記憶に留めて良いと思います。

 以下は1552年にラス・カサスが記述した『インディアスの破壊についての簡単な報告』の一節を引用します。

「この40年間、又、今もなお、スペイン人達は嘗て人が見た事も読んだ事も聞いた事も無い種々様々な新しい残虐極まりない手口を用いて、ひたすらインディオ達を斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。例えば、我々が初めてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人位しか生き残っていないのである。」(染田秀藤訳、岩波文庫)

 結果的には、アンデス山脈の上等、偏狭な地域に生活していたインディヘナ以外、白人と混血するか、殆ど根絶されるに近い状態と成り、スペインは労働力としてアフリカから黒人奴隷を輸入する事に成りました。

続く・・・


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