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2012/02/24

人類の軌跡その315:絶対主義のの台頭①

<絶対主義その①>

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◎イギリス

 イギリスは、ノルマン征服で成立したノルマン朝以来、他のヨーロッパ諸国に比較して、王権が比較的強い伝統がありました。
しかも、1455年から30年間続いた「ばら戦争」で国内の有力な封建諸侯は没落し、「ばら戦争」後即位したチューダー朝のヘンリー7世は、意欲的に王権の強化に努めたのです。
又、この時代から商人、新興地主層の新興市民階級が力を持ち始め、イギリスでは新興地主層を特に「ジェントリ」と呼び、地主として認められていますが、貴族に列するものでは在りませんでした。
ヘンリー7世を継承したヘンリー8世の時代、宗教改革が断行され、イギリス国教会が成立します。

 16世紀、イギリスの農村ではジェントリによる「第一次囲い込み(エンクロージャー)」が盛んに行われました。
囲い込みとは、ジェントリ達が、自分の土地を耕作している小作人を追放し、広大な農地を柵で囲い、その広大な農地に牧草を育て、大量の羊を飼育しました。
羊から羊毛を取り、その羊毛は、ネーデルラントに輸出します。
ネーデルラントは毛織物工業で発展していましたから、その原料をイギリスが輸出し、その為ネーデルラントの発展は、直接イギリス羊毛輸出量の増加、更にはイギリスの発展に直結するものでした。

 16世紀半ば、エリザベス1世が即位、後のイギリス大発展の基礎を築きます。
25歳で即位し、イギリス女王で独身の為、ヨーロッパ各地の王侯貴族から、婚約の話は多々存在しましたが、その中でも、スペインのフェリペ2世は有名です。
最初フェリペ2世はエリザベス1世の姉、メアリと婚姻していましたが、政略の為メアリ崩御の後、妹であるエリザベス1世に婚約を申し込みます。

 エリザベス1世統治下のイギリスは、ヨーロッパ列国の中では弱小国でした。
スペインやフランスの様な大国の狭間で、国家の独立と発展を図ろうと模索していた時代です。
エリザベス1世は、その独身の身分を最大限に利用し、フェリペ2世等、有力者の求婚を逸らし続ける事で、相手からイギリスに有利な条件を引き出す為、自分への求婚を外交手段として最大限利用したのでした。

 最終的にエリザベス1世は生涯独身を押し通し、イギリスの国益を最優先に一生を過ごしました。
エリザベス1世は「私は国家と結婚している」と常々周囲に語り、この言葉は彼女の生涯を象徴しています。
イギリス国民も又、その様な女王を敬愛し、「愛すべき女王ベス」と呼ばれました。

続く・・・


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