2012/02/27

人類の軌跡その316:絶対主義のの台頭②

<絶対主義その②>

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サー・フランシス・ドレイク

◎エリザベス1世の統治

 イギリス国教会を確立の為、「信仰統一法」を1559年に制定、更にネーデルラント独立戦争を援助しました。
ジェントリが生産した羊毛は、ネーデルラントに輸出される為、ネーデルラントの平和と発展は、イギリスの繁栄に直結していました。
スペインのフェリペ2世は、ネーデルラントに重税を課し、これに反発してネーデルラント独立戦争が始まります。
又、イギリスはスペインと宗教問題でも対立しており、スペイン勢力の駆逐は、直接イギリスの勃興に繋がって行きました。
 
 歴史上極めて例外的存在が、私掠特許状です。
イギリスは、四方を海に囲まれた国で、海賊(冒険商人)も多く、エリザベス1世はこの海賊(冒険商人)に「略奪に関する赦免状」と云う一種の免許状を与えました。
これが私掠特許状ですが、絶対にイギリスの商船を襲う事は許されません。
当時イギリスとスペインは、直接戦争している訳では無く、スペイン船を略奪対象とする根拠は存在せず、国家が承認した犯罪行為でした。
 
 海賊(冒険商人)で有名な人物が、ホーキンズ、ドレイク等で、女王から私掠特許状を交付された海賊(冒険商人)は大西洋に船出し、アメリカ大陸から金・銀を満載してスペインに向かう商船を次々と略奪、スペインに多大な損害を与えました。
特にドレイクは1577年から1580年にかけて、世界一周を成し遂げます。
この航海に先立ちドレイク船長は、エリザベス1世、貴族等から出資金を集め、航海の途上スペイン商船やスペイン勢力化の港を略奪し続け、西回り航路で地球を一周しました。
イギリスに帰還した時、30万ポンドの利益を得ていたと云えられ、この金額は当時のイギリス本国の国庫収入に匹敵し、エリザベス1世は、出資金の4700%の配当金を得たとの逸話も残っています。
ドレイク船長の世界周航は、マゼラン艦隊に継いで二番目の快挙でした。

 最初スペインのフェリペ2世は、エリザベス1世がスペイン船に対する、直接海賊行為を援助している事を知らず、海賊の取締を要請します。
しかしながら、エリザベス1世が援助している海賊行為が収まる理由は無く、やがて、フェリペ2世もイギリス側の行動に気づく時が訪れ、更には、ネーデルラントの独立支援も明白に成りました。
1588年、スペインはイギリス侵略作戦を開始し、スペインの誇る無敵艦隊は艦艇130隻、将兵23,000人を乗せてイギリスに出撃します。
スペインは当時ヨーロッパ最強の軍事力を誇り、一方イギリスは弱小国でした。
エリザベス1世が海賊に私掠特許状を与え、スペイン船の襲撃を許した背景には、貿易分野、軍事分野においても、イギリスには、スペインに対し正面から立ち向かう国力が存在しない事を知っている為で、驚くべき事に、当時イギリスには海軍すら存在しませんでした。
 
 スペインの覇権を取り除き、イギリスの危機を救う為に集結したイギリス海軍、その本来の姿は、私掠特許状を与えられた海賊(冒険商人)達でした。
現在も歴史に名前を残す、アルマダの海戦が始まります。
ドーヴァー海峡に進出したスペイン無敵艦隊の戦法は、伝統的な衝角(ラム)戦法で、自艦の船首を相手の船体に直接接触させて沈没させる、ギリシア海軍以来の戦法でした。

 一方イギリス船は、射程距離の長い(アウトレンジ)大砲を搭載し、文字通りスペイン艦隊を迎え撃ちます。イギリス船は小型艦が多数を占めていましたが、狭いドーヴァー海峡を敏捷に行動し、無敵艦隊に攻撃を仕掛けるには、好都合の艦艇でした。
無敵艦隊の艦艇は大型艦が多数を占め、イギリス船に接近する以前に大砲の射程範囲に入り、猛烈な砲撃を加えられた上、折からの悪天候も重なり、操船も容易ではなく多数の艦艇と人員を失い敗北します。
イギリス側の追撃にも連敗を重ね、大ブリテン島を一周する形でスペインに帰還しました。
最終的に、艦隊の三分の一を喪失しフェリペ2世のイギリス征服は断念せざるを得ず、その後スペインは世界史の主役の座から後退していきました。

続く・・・

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