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2012/03/01

人類の軌跡その319:絶対主義の終焉②

<絶対主義の終焉:イギリスその②>

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オリヴァー クロムウェル

◎ピューリタン革命

 さて、賠償金を支払う財源は、既存税率の引き上げ、すなわち増税です(現在アジアの東側に位置する何処かの国と似ています)。
しかし新たな課税を行う為には議会を開催する事が必要で、チャールズ1世は議会を開催しますが、当然議会は其れまでの国王の専制政治を批判し、チャールズ1世と対立しました。
結果的にピューリタン革命(1642年~49年)が勃発し、国王軍と議会軍が衝突を繰り返し、国王を支持する貴族達を王党派、議会側を議会派と云い、王党派は軍事的に圧倒的優位を誇り、一方議会派はジェントリや商工業者が中心の為、本来戦闘行為に熟れておらず、その兵士も義勇兵等の民兵が中心でした。

 軍事的に不利であった議会派を勝利に導いた人物がクロムウェルで、出身階層はジェントリ、宗教はピューリタン、典型的な議会派でした。
彼は、鉄騎隊を組織、王党派軍を撃破して行きました。
この鉄騎隊は、他の部隊と異なり、敬虔なピューリタンの信者を選抜して兵士に採用し、戦闘前夜にはクロムウェルと共に神に祈りを捧げ、宗教的な団結力のある部隊でした。
しかも、クロムウェルは兵士達に給金を払いました。
給金の遅配、欠配が当たり前の時代に画期的な行為で在り、更には兵士に能力が有れば、身分に関係なく隊長に任命しました。
出身が靴屋や馬飼いの隊長が存在しましたが、当時のヨーロッパは完全な身分制社会の為、能力本位の人材抜擢は非常に珍しい事でした。
部隊に規律と信頼、能力主義が、鉄騎隊の強さの裏づけ成りました。

 鉄騎隊の活躍は、やがて議会派軍の全てが、鉄騎隊を基本にした新型軍に改変され、クロムウェルは事実上その司令官と成り、新型軍は1645年にネイズビーの戦いで王党派軍を撃破、その後、戦況不利と成ったチャールズ1世はスコットランドに逃亡するものの、スコットランド軍に身柄を拘束され、イギリス議会に引き渡されました。

 この頃、議会派は三つのグループに分かれ、其々長老派、独立派、水平派と呼ばれていました。
長老派は穏健なグループで、国王に対して妥協的、革命に対してあまり熱心では無く、独立派は、王と妥協せず革命を遂行し、出身はジェントリが多数を占め、ピューリタン革命の中心勢力で在り、クロムウェルもこの派閥でした。
水平派は最も過激なグループで人民主権を主張し、貧しい農民出身の兵士に影響力が在りました。

 チャールズ1世を拘束した後、クロムウェルは国王に妥協的な長老派を追放、「暴君、反逆者、殺戮者」の罪名で国王を処刑します。
その後、国王の存在しない政治体制が10年程続きますが、この期間はイギリス史上唯一の共和政の時代で在り、政治を司るのはクロムウェル自身、彼は水平派の勢力も弾圧し、独立派のリーダーとして事実上イギリスの独裁者と成りました。

続く・・・

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