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2012/03/05

人類の軌跡その322:フランスの絶対主義①

<フランスの絶対主義その①>

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アンリ4世

◎ユグノー戦争

 フランスでは1562年から1598年迄の間、ユグノー戦争が勃発し、近隣諸国では、ネーデルラント独立戦争、イギリスではエリザベス1世が即位しています。
ユグノー戦争は宗教戦争であり、フランスはカトリックの国ですが、宗教改革の影響で新教、特にカルヴァン派の影響力が強まり、宗教対立が激しく成った結果起きた内乱でした。
カルヴァン派をフランスではユグノーと呼称します。

 国王を中心とするカトリック勢力とユグノーの諸侯が対立し、長い内戦が続きました。
その内戦の中心的事件は1572年に発生したサン=バルテルミの虐殺事件です。
国王側と、新教側が和解する事と成り、国王の妹マルグリットが、ユグノーの指導者ブルボン家のアンリと結婚しました。
この結婚を祝う為に、全国からユグノーの有力者がパリに集結したのですが、国王側が彼等を騙し討ちで虐殺した事件です。
この事件を発端に内乱は激しさを増して行きます。
サン=バルテルミは聖人の名前で、虐殺の始った日がこの聖人の祝日当たる為、事件名と成りました。

 この虐殺事件を後ろから指示した人物が、国王の母親カトリーヌ=ド=メディシスとされています。
イタリアの名門メディチ家出身の女性で、この女性が虐殺事件を起した訳では無く、単純にイタリア人と云うだけで、虐殺事件の悪役と成りました。
フランスでは、イタリアの名門貴族から王妃を迎える事が比較的多く、理由として当時は、イタリアがヨーロッパ文化の先進地域で、産業もフランスより発達していたと考えられます。

 ユグノー戦争が続く中で、王家ヴァロワ家の血統が絶え、国王の妹マルグリットを妻としたブルボン家アンリに王位が巡り、ブルボン朝が成立します。
当時35歳のアンリは即位してアンリ4世(在位1589年~1610年)と成ります。

 しかしながら、フランス国民の大部分は、アンリ4世を国王と認めませんでした。
フランス人は、カトリック信仰者が多数派でユグノー派は少数、しかもアンリ4世はユグノー派の為、彼をフランス国王と認めたのは全土の六分の一で在り、首都パリに入る事も出来ませんでした。
アンリ4世は、ユグノー派からカトリックに改宗し、この行為によってカトリック派は国王支持派に成りました。
一方、ユグノー派は、アンリ4世の行為を裏切り行為とします。

続く・・・


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