2012/03/07

人類の軌跡その324:フランスの絶対主義③

<フランスの絶対主義その③>

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ルイ14世と家族

◎ルイ14世の統治

 ヴェルサイユ宮殿には国王以外に貴族も居住していましたが、ヴェルサイユ宮殿に住めるのはルイ14世の近くに使える者だけでした。
起床から、着替え、食事、散歩に至るまで国王の行動は儀式化され、選ばれた側近がその儀式に参加する事が可能でした。
コップやハンカチを国王に渡す役が、貴族達に割り振られ、その役目を貰う事が名誉なのです。
朝食後の散歩で、どの貴族がお供するかは、国王の名指しでした。
指名された貴族達は、その栄誉を感じつつ散歩に同行したのでした。

 ルイ14世の選択基準は、豪華な衣装・装飾を着けている者を選びました。
国王のお供をする者は、総てに最高でなければならず、其れゆえ国王の寵愛を得ようとする為には、借金をしてでも衣装・装飾を準備しなければ成りませんでした。
装飾の世界でフランスがヨーロッパ文化の中心と成った理由には、この様な事情が存在したのです。虚しい贅沢を続ける、貴族達の経済的な負担は莫大なもので、多くの貴族はますます政府、即ちルイ14世に頼らなければ経済的に成り立無い事態と成りました。

 ルイ14世は、フランスの領土拡張の為、積極的に外征をおこない、南ネーデルラント継承戦争(1667年~68年)、オランダ侵略戦争(1672年~78年)、ファルツ継承戦争(1689年~97年)、更にスペイン継承戦争(1701年~13年)と絶え間の無い戦いの時代でも在りました。
スペイン継承戦争はスペインのハプスブルク王家が途絶えた後、ルイ14世は自分の孫をスペイン王に擁立する事を画策しますが、当然将来は両国が合体すると周辺諸国は警戒します。
ブルボン家の肥大化に警戒した周辺諸国は、ルイ14世の孫の即位に反対し、その結果起きた戦争です。

 スペイン継承戦争は、1713年ユトレヒト条約で終結し、この条約でルイ14世は自分の孫をスペイン国王にする事を列国に認めさせる事ができました。
但し、将来に渡ってフランスとスペインが合体しない事を条件とし、又この条約で、海外の植民地の多くを失いました。
領土と引き換えに反対する国々を買収した結果ですが、特にイギリスは、北アメリカや地中海に領土を増やす事に成ります。

 ルイ14世時代のフランスは、度重なる戦争で、僅かな領土を拡大しますが、戦争の負担は重税という形で国民に伸し掛かり、徐々にフランスの経済を悪化させていきます。
ルイ14世の失政の一つが、1685年の「ナントの勅令」の廃止でした。
この結果、信仰の自由を認められなくなったユグノーは、フランスから逃れてオランダ等に移住しました。
ユグノーは、豊かな商工業者がその多数を占め、結果として富裕な市民階級がフランスから消滅し、政府の税収は激減、産業の発展という意味でも大きな損失となります。

 ルイ14世治世末期には、人口の一割が乞食同様と云う記録も存在し、農民反乱もしばしば起こりました。
虚飾の影で、フランスの政治、経済の矛盾は増大し、この矛盾が爆発する時が、ルイ16世時代のフランス革命なのです。

フランスの絶対主義終わり・・・

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