2012/03/08

人類の軌跡その325:フランスの絶対主義番外編①(再録)

<太陽王の宮殿①> 

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ルイ14世で少々触れたヴェルサイユ宮殿に関する記事を再録しました。

 一人の国王の虚栄心が、一国の財政を破局に追い込みましたが、私達はそのおかげで、異常なほどに壮麗な宮殿を現在でも見る事が出来ます。
その国王とは、フランス、ブルボン王朝のルイ14世、財政を破局に追い込んだ建築物とは、ヴェルサイユ宮殿の事なのです。
ヴェルサイユ宮殿は、フランスの宮廷と政治の中心に成りましたが、そもそもの始まりは、狩猟用の質素な館でした。
ルイ13世はこの館を、宮廷の仕事や政務の煩わしさから、逃れる安息の場所として使用していましたが、1627年、この場所に小さな城を建てました。
ルイ13世の死後、息子の「太陽王」ルイ14世は、城を建て替え、壮麗な宮殿によって、自分の栄華を後世に伝え様と試みたのです。
1661年、造営工事が開始されましたが、世界で最も素晴らしい建物を建てる為に選んだ土地は、建築家にとって、当に悪夢の様な土地でした。
土壌が細かい砂の為に基礎の土台の一部は沈下し、その周囲は見渡す限り荒涼とした場所でした。

 ルイ14世は、建設作業を自ら監督する熱心さで、費用が幾ら掛ろうとも、国民の生活が如何に困窮しようとも、そして工事による犠牲者が幾人でようとも、一向に気に止める事は有りませんでした。
ヴェルサイユ宮殿造営の現場では、1日3万人以上もの人間が工事に携わりましたが、是等人間の多くは無報酬か、強制労働であり、更にその作業環境は劣悪を極め、伝染病が蔓延して、多くの人間が死亡しました。
さすがにルイ14世も、余りの死者の数に多さに、廷臣がこの問題を口にする事を禁じた程なのです。

◎一流好み

 時間、創意、金銭が惜しみなく注ぎ込まれ、ヴェルサイユ宮殿造営現場は、フランスの建築工学の一大展示場となり、植樹が行われ、庭園造営の為、大理石、青銅の像が運び込まれ、時にはルイ14世はパリからフランス宮廷の総勢を引き連れて進捗状況を見聞した程でした。

 ルイ14世は自分の野望を満たす為に、当時フランスで最高の建築家を登用し、まず手始めにルイ・ボーが、ルイ13世時代の建物を改築する仕事にあたり、次いで1678年、ジュール・マンサールがこの仕事を引継ぎ、城の主要部分を改造し、両側に北ウイングと南ウイングを建設し、正面の全長600m、窓の数は375を数える迄に成りました。

◎水不足

 庭園の面積は100ha、造園にあたったのは、アンドレ・ルノートル。
ルイ14世は花を好み、毎年400万個ものチューリップの球根を輸入していました。
この庭園最大の呼び物は、テティスの洞窟と動物園の二つで、洞窟は小石と貝殻で覆われ、水力で作動するオルガンが内部に納められており、更に水が流れ出る仕組みも隠されていました。

 動物園にはエキゾティックな動物や鳥類が収集されており、更にルイ14世は全長1600m、幅60mの運河を掘削して、如何にも運河らしさを演出する為に、ゴンドラを始めとする色々な船が浮かべられました。
又、1684年、マンサールはオレンジの成木を輸入して、オレンジ園を作りました。

 この庭園の最大の呼び物は、泉と滝で、是には膨大な水道設備と巨大な揚水設備が必用で、セーヌ河から導水する為に1681年から1684年に渡って「マリルの機械仕掛け」を作り導水する計画でしたが、この装置は度々故障を繰り返し、計画通りには進みませんでした。
その為、今度は、ユール川の流れを変える計画が実行に移されたものの、人命の犠牲、財政支出は膨大となり、1686年に中止と成りました。

続く・・・


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