2012/03/09

人類の軌跡その326:フランスの絶対主義番外編②(再録)

<太陽王の宮殿②>

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 ユール川の流れを変える計画が中止されたのは、人命の喪失や、財政圧迫が原因で工事が中止に成ったのではなく、無報酬労働部隊の兵士が、本業の戦争に必用と成ったからでした。
結局、ヴェルサイユとランブイエの間にある台地の水を集め、水路網を通じて庭園に流し込む方法が採用されました。

◎不  便

 1682年、宮廷がヴェルサイユに移り、1789年迄此処は、フランス国王の住まいと成りました。
其れまでのルイ14世の宮殿同様、壮大華麗な建造物で、9000人の軍隊、1000人の廷臣、4000人の召使が生活をともにしましたが、豪華で華麗な部屋の数々も、日常の生活には不便な事この上なく、暖房は事実上不可能、トイレ等の衛生設備も皆無でした(!)。

 ルイ14世の死後、その曾孫にあたるルイ15世がヴェルサイユ宮殿を更に増築し、この部分が後日、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットお気に入りの休息場所となった「小トリアノン」なのです。
ルイ16世は、マリー・アントワネットの為に続きの間を増築しました。

 しかし、ヴェルサイユ宮殿の権力と影響力は、1789年のフランス革命で終焉を迎えます。
革命後、家具調度品や装飾品は、売却され、盗まれ、宮殿自体も手入れもされず放置されていましたが、修復作業は19世紀半ば、ルイ・フィリップによって行われ、アメリカ合衆国が是をしました。
時代は移り、ヴェルサイユ宮殿は、王朝政治華やかなりし頃を象徴する、博物館として今日に至っています。


補遺「マリルの機械仕掛け」

 水不足は、終始ヴェルサイユに付きまとった大問題でした。
飽くことを知らない、ヴェルサイユの需要を満足させる事が可能な水量が、確保された事は一度も在りませんでした。
庭園用だけでも、ルイ14世は1400の泉への給水を命じました。
必用な水量は、パリ全体の需要を賄うに足る程で、国王がヴェルサイユ宮殿の庭を散策するとき、庭園付の召使が制御装置を操作し、噴水が出る様にしました。
もし、噴水が作動していなければ、庭園監督官は、罰金を徴収されたそうです。

 ルイ14世が、庭園を潤うに足る大量の水を求めた事が契機となり、さまざまな計画や発明が生れたのでした。
その内、現在でも最も有名な機械装置が、巨大な「マリルの機械仕掛け」なのです。
建造が始まったのは、1681年で、その目的は本文でも触れた様に、セーヌ河から絶え間なく水を汲み上げる事でした。
幅11mの巨大な14機の水車が221個のポンプを稼動させ、セーヌ河に続く丘の斜面を、160mの高さ迄水を運び上げる事に成っていました。

太陽王の宮殿終わり・・・


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