2012/03/13

人類の軌跡その328:三十年戦争その①

<三十年戦争その①>

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ロクロアの戦い

◎三十年戦争

イギリスやフランスが、絶対主義国家として中央集権化を図る最中、ドイツでは三十年戦争(1618年~48年)が発生していました。
三十年間つづいたので三十年戦争と云い、宗教対立を発端とした戦争でした。
1555年、神聖ローマ皇帝カール5世は、アウグスブルグの宗教和議を行い、ドイツの宗教内乱は一旦収まりました。アウグスブルグの宗教和議は、新教徒にも信仰の自由を認めるものでしたが、問題点も存在し、その一つは、個人に信仰の自由が与えられなかった事。
領主が選んだ教会をその土地に住む住民は信仰しなければならず、ここで信仰の自由とは、領主にとっての自由で在り、更にはカルヴァン派の信仰が、認められていなかった事でした。

 オーストリア(現在のチェコ)にベーメンという土地が在り、オーストリア・ハプスブルク家によって支配されていましたが、民族はチェク人で在り、宗教改革以前からローマ教会と馴染まない風潮が存在していました。
ベーメンの人々は新教を信じ、更に従来ベーメン人達は信仰を認められていたものの、1617年、支配者が代わり、新教徒に対する弾圧が始まりました。
この弾圧に対してベーメンの新教徒貴族が反乱を起こし、当初はハプスブルク家領内の内乱に過ぎない小規模な紛争でしたが、他の新教の諸侯がこの内乱に参加し、戦争規模が拡大、ドイツ以外の国も新教、旧教を援助して介入した結果、収拾のつかないまま30年間にも及ぶ紛争に成りました。

◎新教側と旧教側

 新教側は、ドイツの新教諸侯、デンマーク王クリスチャン4世、スウェーデン王グスタフ・アドルフ、フランスもリシュリューが新教側を援助して戦争に介入します。
フランスは旧教国ですが、領土拡大を画策していまし、デンマーク王やスウェーデン王が参加した理由も同様でした。

 旧教側は、神聖ローマ帝国皇帝が中心と成り、同じハプスブルク家のスペインも旧教側で参戦しました。
旧教側では、傭兵隊長の皇帝軍総司令官ヴァレンシュタインの活躍が有名で、皇帝の支払う巨額の資金で2万人以上の傭兵部隊を率いて戦いました。

 三十年戦争に参戦した兵士の大部分が傭兵で在り、傭兵がドイツの農民等、一般民衆に対して膨大な被害を与えました。
傭兵は、お金で雇われる兵隊で、国を守る為に志願して兵士に成る様な、近現代の兵隊とは全く異なり、給料さえ支払われれば、誰にでも雇われる戦力でした。
ヨーロッパの何処かで紛争は発生すると、傭兵は自分達を売り込み、更に高い賃金で雇い入れる陣営に参加しました。

続く・・・

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