2012/03/14

人類の軌跡その329:三十年戦争その②

<三十年戦争その②>

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当時の農民生活

 三十年戦争の様な長期戦争では、常に戦闘が継続している事は大変稀で、大きな戦闘が一度発生すると、暫くの休戦状態に成ります。
その理由として、諸侯や皇帝は常に莫大な給与を傭兵達に支払わなければならず、大きな戦闘行動を行うと、その賃金支払いが、莫大な金額と成り、傭兵を維持できません。
従って、資金調達が可能と成り、ある程度の蓄財が成された時、傭兵を雇い入れ次の作戦を実行しました。

 傭兵の立場では、雇用が発生し、賃金を手に出来る期間よりも、失業状態の方が長く、失業中でも生活の糧を得る為に、傭兵部隊はドイツの農村を略奪しました。
農民の立場では、一度戦争が発生すれば、重税を課せられ、領主はその金で傭兵を雇います。
村が戦場に成れば、畑が踏み荒らされ、しかも戦争が小康状態の時は、失業中の傭兵部隊に何時襲撃されるか、油断ができず、一旦襲撃の対象になれば、村は略奪、暴行、虐殺と悲惨を極めます。
三十年戦争でドイツの人口は、1800万から700万に激減したと記録されています。
この多くが、傭兵による被害と考えても無理では在りません。
傭兵は、戦争が長引けば長引く程、仕事が継続される為、戦闘を長期化させる事や、危機に乗じて、雇い主に賃上げを要求する等、兵士の質は極めて悪いものでした。

 三十年続いた戦争もようやく集結し、戦争に関わったドイツ国内の封建諸侯、その他フランスやスペインなどの参加国によって、1648年ウェストファリア条約が締結されました。

◎ウェストファリア条約

1.ドイツ国内諸侯の独立状態を承認

 当時のドイツは、名目上神聖ローマ帝国皇帝が統治する帝国でしたが、現実には統一国家ではなく、皇帝は名目的なものでした。
この実体を認め、これ以後、諸侯の統治する地域は領邦国家と呼称され、事実上の国と成り、諸侯は「領邦主権」を持って、その国を統治しました。
以前と同様、神聖ローマ帝国皇帝は存在しても、単なる名誉称号に成り、この称号を保持するのはハプスブルク家ですが、その領邦はオーストリアの為、必然的に神聖ローマ帝国皇帝が実際に支配している地域は、オーストリアとそれに付随する地域だけに成りなした。

2.ドイツに於ける、ルター派と共にカルヴァン派にも信仰が承認。

3.スイス・オランダの独立を正式に承認。
 
 スイスもオランダも以前から事実上独立を果たしていましたが、この条約で正式に認められた、スイス、オランダ共に、ハプスブルク家の領地の為、承認された経緯が在ります。

4.フランスがドイツの一部であった、アルザス地方を獲得。

5.スウェーデンもドイツに領土を拡大。
 
 最後に三十年戦争の結果、ドイツの農村や産業が徹底的に荒廃し、イギリス、フランスが中央集権化を進めているにも関わらず、逆に国家の分裂を固定化させてしまいました。

余談

 三十年戦争による極端な人口の減少は、農業経済の基盤を破壊し、このとき破局的な農業生産性を回復させたのは、ジャガイモでした。
1570年代から80年代にかけて、新大陸からスペインに入ったジャガイモは、単位土地面積あたりの生産量が大きく、気候不順による凶作時にも生育する「救荒(きゅうこう)作物」として、とりわけプロシャの人間社会を救いました。
それ以来、中部ヨーロッパの人々は、ジャガイモを主食としています。


三十年戦争終わり・・・

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