2012/03/22

人類の軌跡その334:ロシア①

<ロシアの台頭その①>

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イヴァン4世 Иван IV Васильевич / Ivan IV Vasil'evich

◎モスクワ大公国

 ロシア人はモンゴル帝国以来、キプチャク=ハン国の支配下にありました。
キプチャク=ハン国の衰退に乗じて、1480年にモスクワ大公国が独立、この国が現在のロシアの始祖と成ります。
当時モスクワ大公国を支配した大公がイヴァン3世(在位1462年~1505年)であり、ビザンツ帝国、言い換えれば東ローマ帝国最後の皇帝の姪を伴侶としていました。
その為1453年にビザンツ帝国が滅亡すると、イヴァン3世は「ツァーリ」と云う称号を初めて使用しました。
ツァーリはカエサルのロシア語による呼称で、この称号を敢えて使用する事は、ビザンツ帝国の後継者を意味しています。
ツァーリを日本語に訳す時は皇帝と訳しています。

 モスクワ大公国を更に発展させたのがイヴァン4世(在位1533年~84年)です。
イヴァン雷帝とも呼称されるこの人物は、大貴族を抑圧し、中央集権化を推進し、農奴制を強化して、ツァーリを正式な国家元首の称号として採用しました。

 激情型の性格で、ロシアでは非常に有名な皇帝で在り、現在でも小説や映画の題材に取り上げられています。
短気で凶暴な性格な為、自分に逆らう大貴族達の領地を取り上げて行き、一方貴族達の反発も凄まじく、雷帝は六回結婚していますが、后のうち五人は貴族に毒殺されたと云います。
六人目の后探しの果て、イギリスのエリザベス1世の姪が候補に上り、婚約まで進行したものの、彼女の方が、野蛮な国に嫁ぐ事を拒み、破談に成ったとの話も伝えられています。
イギリスから見て、ロシア、モスクワ大公国が、如何に野蛮で辺境の土地であるかを物語っています。

 当時モンゴル系の勢力も強力な時代で、イヴァン雷帝は、モンゴル王家の血を引く貴族からツァーリの称号を譲られる、と云う形式で即位しています。
イヴァン4世の業績で、最も重要な事象は、シベリア進出でした。
コサック隊長のイェルマークにシビル=ハン国遠征を命じ、このシビル=ハン国はウラル山脈の東に存在したモンゴル系の遊牧国家で、シベリア方面へ進出する足掛かりを築きました。
因みにシビル=ハンは、シベリアと云う地名の語源と成ります。

 先に登場したコサックは、南ロシア・ウクライナの辺境地帯に居住した人々で、逃亡してきたロシア人農奴を中心として、形成された集団です。
如何なる国の領土でも無い平原地帯で、誰にも支配されずに共同体を形成し、居住地域によって、ドン・コサック、ウラル・コサック等と呼ばれていました。
男達は、最初略奪等で生計を立てていた結果、騎馬兵として優秀、豪快で、ロシアはコサック達に自治を認める代わりに、彼らを騎馬兵として利用しました。
20世紀初頭の日露戦争でも騎馬軍団として活躍しています。

続く・・・
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