2012/03/26

人類の軌跡その336:ロシア③

<ロシアの台頭その③>

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エカチェリーナ2世: Екатерина II Алексеевна: Yekaterina II Alekseyevna

◎ロシアの発展その③

 ピョートル1世崩御の後、即位した皇帝は短命で、ロシア政局は少々混乱します。
プロイセンとオーストリアの七年戦争に参戦したのもこの時期ですが、七年戦争の時の皇帝はピョートル1世の娘のエリザベータ。
彼女が崩御した後、甥のピョートル3世が即位しますが、敵対国プロイセンのフリードリヒ2世を崇拝し、七年戦争から撤退します。
ピョートル3世のフリードリヒ2世に対する崇拝ぶりは異常で、肖像画に跪き、胸像に接吻し、近衛隊の兵士達に取って屈辱の何ものでも在りません。
自分達の仕えている皇帝が、敵国の皇帝に跪く事は、我慢成りませんでした。
最終的にピョートル3世は殺害され、変わってピョートル3世の妻が皇帝と成りました。
この人物がピョートル1世と並び称される、エカチェリーナ2世(在位1762年~96年)です。

 エカチェリーナ2世は、ピョートル1世の政策を引き継いだ皇帝です。
又、当時東ヨーロッパで流行していた啓蒙専制君主でもあります。
実は、エカチェリーナ2世はドイツ人でした。
ピョートル3世はお后を求めて、候補となる人物を探すのですが、ロシアは辺境の地で野蛮、ヨーロッパ諸国の王家や一流貴族の令嬢は絶対拒否。
結局、ドイツ貴族の中では一流でも無く、ものすごい美人でも無いエカチェリーナが、因果を含められて嫁ぐ事に成りました。
彼女は、教養のある賢い人物で、ロシアに嫁いでからは、夫や宮廷の人々とも付き合い上手、親衛隊からの人望も高いものでした。

 ドイツ出身の彼女が、啓蒙専制君主になるのは、当然ですが、ロシア社会を見て、遅れていると感じる処が数多く在ったと思います。
彼女が残している「訓示」は、
君主は絶対である…。
君主政治の真の目的は…人民からその自然の自由を奪うことではなく最高善に達する為、彼らの行為を正すことである。

一つ目は、当に絶対主義、二つ目は啓蒙主義で、啓蒙専制君主の典型です。

 彼女の理想は素晴らしいものですが、1773年大規模な農民反乱「プガチョフの乱」が起こり、この鎮圧後、農奴制を強化しています。
当時のロシアの新聞には、農奴の売り出し広告が掲載され、一応、農奴は移動と職業選択の自由は存在しませんが、本来売買はされない身分なのです。
1789年では、フランス革命が発生、この様な時代背景の中、彼女の政治は、反動的性格を色濃くして行きました。

続く・・・
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