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2012/04/04

人類の軌跡その342:貿易②

<商業覇権の推移その②>

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イギリス東インド会社・本社

◎商業覇権の移動

 海外貿易で富を蓄積した最初の国はスペインでしたが、オランダ独立の頃からスペインは衰退し、変わって17世紀前半、オランダが商業覇権を掌握します。
中継貿易と加工工業で繁栄し、アムステルダムはヨーロッパ金融の中心と成り、イギリスも海外貿易に乗り出しますが、オランダには対抗出来ませんでした。

 時代が進むと、ピューリタン革命、名誉革命の頃から、イギリスは急速に力を付け、オランダを凌ぐ様になります。
クロムウェルが制定した航海条例は、オランダを標的にした法律で、航海条例が原因で1652年から英蘭戦争がはじまります。
この戦争で商業覇権が、オランダからイギリスへ移りました。
たとえば、北アメリカではオランダが建設した植民地ニューネーデルラントが、1644年にはイギリス領に成り、後に、ニューアムステルダムと云う町が、ニューヨークと名前を変えて発展する事に成ります。

 アジアでは、モルッカ諸島から撤退を余儀なくされた、イギリス東インド会社はインド貿易に転換し、インドの綿織物をイギリスに運んだ結果、爆発的な人気を呼びました。
今では、綿布は、珍しい存在では在りませんが、木綿は軽く手触りが柔らかく、あたたかい。
しかも白い色には清潔感が在り、手軽に染める事も可能でした。
これは、それまで一般的だった毛織物にはなかった特色です。
香料貿易はオランダに独占されましたが、インド綿布の貿易でイギリス東インド会社は、莫大な利潤を得るように成り、やがて、綿織物を自国で安く生産する事を目的として、産業革命が始まります。
通常、イギリス東インド会社と総称していますが、厳密にはロンドン東インド会社(旧会社)、イングランド東インド会社(新会社)、合同東インド会社(合同会社)という三つの会社から成り立っていました。

 オランダにかわってイギリスが覇権を掌握するのは17世紀後半ですが、このイギリスのライバルとして、登場してくるのがフランスでした。
ルイ14世時代以来、積極的な重商主義政策を推進し、各地でイギリス勢力と衝突し、これを第二次英仏百年戦争(1689年~1815年)と云います。

続く・・・
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