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2012/04/04

人類の軌跡その343:貿易③

<商業覇権の推移その③>

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即位式 1837年6月20日
ヴィクトリア女王: Queen Victoria、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国女王(在位:1837年6月20日 - 1901年1月22日)、初代インド女帝(在位:1877年1月1日 - 1901年1月22日)

 ヨーロッパで戦争がおこると、それに呼応して北米大陸のイギリス勢力とフランス勢力が戦いました。
年代順に記すと
 1689年~97年、ファルツ継承戦争に対応して、北米で、ウィリアム王戦争。
 1702年~13年、スペイン継承戦争に対応して、北米で、アン女王戦争。
 1744年~48年、オーストリア継承戦争に対応して、北米で、ジョージ王戦争。
 1755年~63年、七年戦争に対応して、北米で、フレンチ=インディアン戦争。
これらの戦争を通じて、イギリスはフランスから植民地を奪い、北アメリカ大陸の支配権を確立していきました。戦争の名前は、フレンチ=インディアン戦争を除き、各戦争時のイギリス王の名前です。

 フランスはインドにも進出していて、1757年プラッシーの戦いを契機に、イギリスは本格的なインド支配をはじめ、フランスとの百年間の抗争は、イギリスの勝利で終わり、これ以後、イギリスが世界経済の中心と成って行きます。
20世紀、アメリカ合衆国が台頭する迄、この状態は続きました。

◎最後に

 ヨーロッパの商業覇権の移り変わりと、政治体制を整理すると、16世紀、商業覇権はカルロス1世、フェリペ2世時代スペインに在り、政治的には絶対主義、経済政策は重商主義でした。

 16世紀末、オランダがスペインから独立、国内産業の発展がなかったスペインはそのまま没落し、オランダが商業覇権を掌握し、一方ポルトガルもスペインと同じ運命を辿ります。

 オランダ独立を援助したイギリスは、エリザベス1世以後、政治的には絶対主義でしたが、17世紀中葉、ピューリタン革命、名誉革命で絶対主義が崩壊し市民階級が権力を掌握し、以後イギリスは急速に力を伸ばし、オランダを追い抜いて、覇権を握ります。
一方のフランスは、絶対主義の絶頂期ですが、イギリスに対抗して重商主義政策を推進、アメリカやアジアでイギリス、フランスがその勢力拡大に邁進します。

 18世紀後半、イギリス、フランスの先進的な部分を取り入れて、プロイセン、オーストリアの啓蒙専制君主は国家改造を画策した人物が、フリードリヒ2世やヨーゼフ2世でした。
プロイセン出身でロシア皇帝となったエカチェリーナ2世も、啓蒙専制君主として政治改革をします。
これらの国々は、イギリスやフランスの様に海外に進出できる様な地理的な条件が整わず、国内産業が未発達の為、穀物を西ヨーロッパに輸出する事で、貿易を成り立たせようとしました。
安い穀物を生産する為に、農民に対しては抑圧的政策を取り、海外貿易で富を蓄積し、市民階級が発言力を増すイギリス、フランスとは、反対の政治風土が生まれていきました。

商業覇権の推移終わり・・・
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