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2012/04/11

人類の軌跡その349:オスマン帝国の東①

<サファヴィー朝とムガル帝国その①>

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ハナス湖とバインブルク高原

◎サファヴィー朝

 オスマン帝国とほぼ同時期に、イランで繁栄した王朝がサファヴィー朝(1501年~1736年)です。ティムール帝国が崩壊した後のイランに建国されました。
建国者はイスマイール1世、彼は名門の出身で、第四代正統カリフ、アリーの息子フサインと、ササン朝最後の君主ヤズデギルド3世の娘シャハル・バーヌーの血を受け継ぐと云われました。
イスラム教創始者とペルシア王家ですから、イスラム教徒のペルシア人にとってこれ以上の高貴な血筋は存在しません。
更に、イスマイール1世の生家は、サファヴィー神秘主義教団と云うイスラム宗派の教祖でも在り、可也の信者を集めていました。
イスマイール1世は、名門としての人望と、教団の指導者としての影響力を利用して、サファヴィー朝建国に成功したのです。
サファヴィー朝の特色として、イスラム教の中でもシーア派を国教とします。
伝統的にイラン人はシーア派が大多数を占め、西のオスマン帝国がスンナ派の為、対抗する意味も在りました。
皇帝の称号は、シャーを使用します。
これは、イランの伝統的な王号で、イスラム教国で在ると同時に、イラン民族の国家を意識したものでした。

 最盛期の皇帝がアッバース1世(在位1588年~1629年)。
オスマン帝国からイランの一部とアゼルバイジャン地方を奪還して領土を拡大し、更にホルムズ海峡に要塞を築いていたポルトガル人を追放、新たに首都イスファハーンを造営しました。

 アッバース1世の死後、サファヴィー朝は衰退していきます。

◎ティムール帝国衰退後の内陸アジア

 カスピ海、アラル海北部にカザフ草原が在ります。
この地域で、15世紀以降、キプチャク・ハン国に属するトルコ人と、トルコ化したモンゴル人の集団が合体し、ウズベク人という民族が生まれました。
彼等が、ティムール帝国崩壊後に、東トルキスタン地方に南下し、アラル海に注ぐシル川、アム川流域のオアシス地帯に達しました。
この地域にウズベク人が建国した国が、ブハラ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、コーカンド・ハン国、通称ウズベグ三ハン国と云います。
19世紀後半、ロシアに併合される迄存続し、現在CISの構成国ウズベキスタンに成りました。

 カザフ人は、キプチャク・ハン国に属していた遊牧部族が、ウズベク人が南下した後のカザフ草原で、数々の遊牧集団を吸収してできた民族です。
トルコ系で16世紀頃には、中央アジアで一大勢力に成長しますが、18世紀にはロシアの支配下に入ります。

 ウイグル人は、唐の時代から、モンゴル高原に在住したトルコ系の民族です。
本来は遊牧生活でしたが、この時期には東トルキスタンのオアシスに定住して交易に従事しました。東トルキスタンは、パミール高原東部の中央アジアで、トルコ系のウイグル人が定住してからトルキスタンと云う地名が生まれました。
14世紀以降にイスラム化し、政治的には、大きな勢力に服属をつづけ、チャガタイ・ハン国、モンゴル系遊牧国家ジュンガル、中国の清朝等の支配下に入ります。

続く・・・


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