2012/04/12

人類の軌跡その350:オスマン帝国の東②インド

<サファヴィー朝とムガル帝国その②>

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フマーユーン廟

◎ムガル帝国の発展

 オスマン帝国、サファヴィー朝と同時期にインドでもイスラムの大国が出現しました。
ムガル帝国(1526年~1858年)です。

 建国者はバーブル(在位1526年~30年)。
バーブルは、ティムール帝国王族の血を引く人物で、本来中央アジアの都市、サマルカンドを本拠地にしてフェルガナ地方を支配していました。
ウズベク人の南下の際、本拠地を追われ、一族を率いて各地を転戦し、アフガニスタンのカーブルに根拠地を移し、サマルカンド奪還を目指しました。
ウズベク人の勢力との抗争を繰り返しますが、古地の奪回は果たせず、中央アジアで、国家を再建を放棄し、変わってインドに侵入しました。

 1526年、デリーを本拠地にしていたロディー朝を、パーニパットの戦いで撃破。
以後、本拠地をデリーに移して、インドの王朝として発展しまが、この時がムガル帝国の始まりでした。
ムガルの国名は、モンゴルが鈍ったもので、民族的にはトルコ化していますが、バーブルはティムールの子孫で、ティムールはチンギス・ハンの血を引いている事に成ります。
ティムール帝国、更にはモンゴル帝国の復活を意味するとも考えられます。

 インドに国を定めたバーブルですが、本当はサマルカンドに国家を再興する事が目的でした。
気候的に安定した中央アジアを好み、高温多湿のインドは、彼の好む処では無く、何かに付け、サマルカンドを懐かしみ、涙を流したと云います。
武人として、政治家としても有能だったバーブルは、文学の才能にも優れ、彼の「バーブル詩集」は、トルコ文学の傑作とされています。
 
 バーブルの後継者は、息子のフマーユーン。
フマーユーンには、次の様な伝承が残っています。
フマーユーンが大病を患い、心配したバーブルは息子のベッドの回りを巡りながら、自分を身代わりとして息子の命を助けてくれる様、神に祈りました。
やがてフマーユーンの病気が回復した直後、本当にバーブルは48歳で、逝ってしまいました。

 さて、ムガル帝国は未だインド全域を支配している訳ではなく、北インドには対抗勢力が数多く存在しフマーユーンは、この対抗勢力に敗走し、一時イランのサファヴィー朝に亡命します。
後に、サファヴィー朝の兵力を借りながら勢力を盛り返し、再びデリーを奪還します。

 変わって即位したのが、当時13歳のアクバル(1556年~1605年)で、この後50年間位に渡り、ムガル帝国を大帝国に発展させた、重要な皇帝です。

続く・・・
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