2012/04/16

人類の軌跡その352:オスマン帝国の東④インド

<サファヴィー朝とムガル帝国その④>

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黄金の玉座に座り、手に鷹を乗せるアウラングゼーブ Wikipediaより

◎帝国の晩年

 父親を監禁して帝位を得た人物がアウラングゼーブ(在位1658年~1707年)でした。
ムガル帝国が繁栄していた最後の時代の皇帝です。
アウラングゼーブは、南インドのデカン高原を平定して、ムガル帝国の版図を最大にする一方、彼は非常に敬虔なイスラム教徒で、インド人に妥協してイスラムの教えを曲げる事を嫌いました。
その為、アクバル以来廃止されていたヒンドゥー教徒への人頭税(ジズヤ)を復活すると共に、ヒンドゥー教徒やシーク教徒を弾圧しました。

 是等の政策は、当然インド人の反発を招き、非イスラム教徒の離反、反乱が相次ぐ様に成り、アウラングゼーブは反乱鎮圧の為、王座に座る暇は在りませんでした。

 アウラングゼーブの様子を伝えるイギリス外交官の報告書が残っています。

 「ムガル軍のキャンプは不潔このうえない泥土の中にあり、兵士達の俸禄は一年以上滞っている。宮廷人は腐敗の極みにあり、何一つするにしても賄賂を要求する。
だが老皇帝一人だけは、尚可也の威厳を持ち純白の衣裳で前線を回る。
多くの兵が皇帝を見ようと群れる。
だが皇帝は彼らの方を見ず只手中の本のみに目を凝らす。
その本はコーランだった。」(1699年イギリス使節報告)

 コーランを頼りに一人でムガル帝国を支えている、アウラングゼーブの孤高の姿を伝えています。アウラングゼーブは軍人としては有能で、彼が生きていた間は、ムガル帝国は何とか、嘗ての栄光を保ちますが、彼の死後、各地の勢力がムガル帝国から自立し、帝国は急速に衰退し、デリー周辺を領土に持つだけの、一地方政権に成っていきました。

 変わって勢力を拡大した政権が、パンジャブ地方のシーク教国、ラージプート諸侯国、マラータ同盟等でした。
シーク教というのは、ヒンドゥー教とイスラム教を融合した宗教で、シーク教国は彼等の国で、マラータ同盟はマラータ族諸侯の連合政権でした。

 又、やがてインドを支配する事に成るイギリスが、マドラス、ボンベイ、カルカッタに商館を築いたのも、時期的にはアウラングゼーブの時代に重なります。
ほぼ同時期にフランスもシャンデルナゴル、ポンディシェリに商館を開いています。

ムガル帝国終わり・・・

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