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2012/04/18

人類の軌跡その354:明帝国②

<明帝国その②>

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光武帝

◎洪武帝の政策

皇帝独裁権力の強化。

 具体的には、中書省を廃止して、六部と軍を皇帝直属に置きます。
唐の時代と比較すると、唐代は皇帝の下に中書省、門下省、尚書省が在り、その下に六部が在りました。
明代には最後に残った中書省も廃止する事により、皇帝の権限が強化されました。
皇帝の権限を制約する機関が、存在しない統治機構を中国史では皇帝独裁と云います。

一世一元の制。

 洪武帝の時代の年号は洪武、洪武何年と云います。
同一皇帝の時代は改元しない事を一世一元の制と云い、日本では明治時代から取り入れました。

衛所制。

 兵士を出す家を軍戸として、一般人の民戸と区別して戸籍を創り、軍戸から軍を編成する制度を衛所制と云います。

村落行政。

 村落行政に関し、元朝時代の放任を引き締める為に、里甲制と云う隣組制度を作りました。
110戸を里という単位に編成して、その中から裕福な農民が輪番で里長として、行政の末端を担わされます。
一種の農村自治制度です。

 里長に任された仕事で一番大変なのが、戸籍と租税台帳の作成。
台帳の事を賦役黄冊(ふえきこうさつ)と云い、税の徴収も里長の責任でした。
決められた税額より少ないと、里長は自腹を切る事に成ります。

 魚鱗図冊と云う、全国的な土地台帳も編纂されましたが、この土地台帳の名称は、土地の形が魚の鱗状に描かれている所から付いた名前です。

 明の時代は、元代に蔑ろにされた伝統的中国的秩序を回復しようと云う意識が在りました。
里甲制もその一つですが、更に、朱元璋は『六諭』を発布しています。
これは、法律と云うよりは、道徳の教科書にあたり、「親には孝行しろ」、「目上の者を尊敬しろ」、「村の仲間は仲良くしろ」、等儒教的な道徳を六つならべたものです。
この書物を、月に数回、村々の老人達に、皆の前で読ませました。
皇帝が直接、この様な形で、民衆にお説教をする行為は、それまでの時代には存在せず、明治時代に日本が真似ました。
教育勅語がそれで、500年後の日本が朱元璋の政治から影響されているというのは、興味深いものが在ります。
法律でも唐の律令を意識し、大明律令を編纂しますが、之も中国的秩序回復の一環でした。

続く・・・



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