2012/04/19

人類の軌跡その355:明帝国③

<明帝国その③>

448px-Yongle-Emperor1_convert_20120419213937.jpg
永楽帝

◎永楽帝

 1398年、明朝初代皇帝洪武帝が崩御、第二代皇帝に即位したのが建文帝(在位1398年~1402年)でした。
建文帝は、朱元璋の孫にあたり、皇太子の長男が若くして死去した為、その息子が即位しました。
即位当時の年齢は、16歳でした。

 洪武帝には、死んだ長男以外にも息子が何人も居り、彼は皇太子以外の息子達を国境防衛軍司令官として各地に駐屯させていました。
現在の北京に、軍司令官として駐屯していたのが洪武帝の四男、燕王(えんおう)、此の地は、モンゴル人勢力と接する最前線でした。
元は明に滅ぼされたのではなく、モンゴル高原で存続しているのです。
この時代のモンゴル人の政権を北元(ほくげん)と呼び、後にタタールと呼ぶ様に成りますが、同じ国を指しています。
当然ながら、モンゴル人達は、何時中国に侵入して来るのか知れません。

 国境防衛の一番重要な場所が、北京で、其処の司令官を任されている燕王は、それだけの能力が在ったと思われます。
彼の率いる軍隊も強力ですが、兵士にはモンゴル系も多く在籍していました。

 建文帝から見れば、強大な軍事力を持つ実力者燕王は不気味な存在です。
自分の地位をやがて脅かすかも知れず、建文帝は燕王の持つ権限を奪取する企てを行いました。
両者の緊張が高まり、遂に燕王は建文帝に対して軍を動かしました。
「靖難の変(せいなんのへん)」(1399年~1402年)の始まりです。

 建文帝は、若いながら正統な首都をおさえる皇帝で、官僚、軍隊、殆ど総てが皇帝側に付き、燕王が有能な指導者で強力な軍団を率いていても簡単には勝てません。
結局4年越しの内乱となりますが、最後は燕王軍が皇帝の本拠地南京を一気に突く作戦で勝利し、建文帝は混乱のなかで死んだとされています。
勝利を掴んだ燕王は、皇帝として即位し、永楽帝(在位1402年~24年)と成りました。

続く・・・

スポンサーサイト

コメント

非公開コメント