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2012/04/26

人類の軌跡その361:清朝①

<清朝その①>

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モンゴル・アルハンガイの自然

◎清朝の成立

 明代末期、中国東北地方で女真族が勢力を回復します。
女真族は、12世紀から13世紀にかけて中国北部に金を建国した事も在りましたが、モンゴルに滅ぼされて以来、元、明に服属していました。
しかし、明が朝鮮に侵入した秀吉の日本軍討伐に勢力を注いでいる間隙を突いて、再び力をつけて来たのでした。

 女真族の諸部族を統一したのがヌルハチ(1559年~1626年)、彼は、1616年、明から自立して、後金国を建国しました。
その後を継承した息子が、のホンタイジ(在位1626~43年)です。
彼は、モンゴル高原を勢力下に置き、この時に、モンゴル有力氏族に代々伝えられていた元朝玉璽、つまり元朝皇帝の印章を手に入れます。
これ以来、ホンタイジは女真族のハーンであると同時に、モンゴル人の大ハーンの地位を兼ねる事に成りました。
又、後金国の本拠地中国東北地方には、女真族に比較して何倍もの漢民族が定住しており、ホンタイジは女真族、モンゴル族、漢族を支配する事に成ったのです。

 1636年には、国号を清と改め、ホンタイジ自身も改めて皇帝に即位し、中国風の国号を採用する事で、多くの民族を支配する中華帝国の支配者となる事を宣言したのです。
この後、ホンタイジは中国本土への侵入を繰り返し、万里の長城を境として明との戦いが続きました。

 清の軍制が八旗で在り、女真族を八つの集団に編成して、そこから兵士を出させる制度で、清朝の正規軍と成りました。
それぞれに旗印があるので八旗と云います。
ホンタイジ時代にはモンゴル人、漢民族にも八旗を編成させ、蒙古八旗、漢軍八旗が編成されました。
八旗は、同時代の徳川幕府に於ける旗本の様な存在で、建国初期には大活躍しますが、特権的地位に安住して、清朝末期には、軍隊として使いものに成らなく成ったところも良く似ています。
これ以外にも、後に緑営と云う軍制度が作られますが、この制度は明の衛所制を引き継いだもので、主に地方の治安維持を担当しました。

 女真族には文殊菩薩信仰が存在し、文殊の音マンジュをとって、女真族を満州族という言い方があるのですが、ホンタイジの時代に、この表現が定着し又、中国東北地方を満州という地名で呼ぶ様に成りました。

続く・・・
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