2012/05/02

人類の軌跡その365:清朝⑤

<清朝その⑤>

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『康熙字典』

◎清の政治

 満州族王朝の清が、多くの人口と独自の伝統文化を持つ漢民族を支配するには、可也の工夫が必要でした。
漢民族に受け入れられる為、儒学者を擁護し、大規模な編纂事業を行い、儒学者を優遇します。
永楽帝が、儒学者に『永楽大典』を編纂させた事に似ています。
 
 康煕帝時代に行われた事業が、『康熙字典』『古今図書集成』の編纂です。
『康熙字典』は漢字辞典で在り、漢字の数は異体字を含めると可也の種類に成りますが、それを集大成しました。
「へん」「つくり」で漢字を分類する方法も『康熙字典』から確定し、現在日本で用いられている、すべての漢和辞典の種本で、内容的にも現在まで価値が衰えていません。

 行政機構では、漢民族を差別せずに満州族と同様に扱いました。
「満漢併用制」と云い、役所の長官など満州族と漢民族を同数配置した。科挙は明代に引き続き行われています。

 以上のような優遇制度をとる反面で、綱紀粛正は容赦無く実施されました。
「文字の獄」、反清的な書物は禁書処分等、清の統治の初期は、明を懐かしがって清に抵抗する学者も結構存在していました。

 清は中国を支配すると、清を認めるかどうかの踏み絵として漢民族に弁髪を強制しました。
弁髪は、満州族の髪型で頭頂部を残して頭を剃り、残した部分を長くのばして三つ編みにします。
漢民族の伝統的な髪型は総髪。
どこも剃らずに伸ばして結います。
当時、モンゴル人、満州人、日本人、中国周辺の民族は、頭髪を剃る習慣が在り、日本の武士階級も額から頭頂部は剃られていました。
漢民族から見ると、野蛮人の風俗を強制されました。

 清は「頭を残すか、髪を残すか」と漢民族に迫り、髪を剃らなければ、死刑に成りますから、結局漢民族は弁髪を受け入れざるを得ませんでした。

 広大な領土を支配する為、清朝は支配地域を直轄地と藩部の二つに分けます。
直轄地は、満州、中国本土、台湾、是等の地方には官僚を派遣して中央集権的支配を行いました。
藩部は、モンゴル、青海、東トルキスタン、チベット、是等の地方は間接統治で、各民族の伝統的な支配に任せ、清朝は、理藩院を設置して、藩部の統治を監視しました。
これ以外に、清の宗主権を認めた国が、朝鮮、ヴェトナム、シャム(タイ)、ビルマで、是等の国は独立国ですが、理念的には清の属国です。

続く・・・
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