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2012/05/03

人類の軌跡その366:清朝⑥

<清朝その⑥>

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メキシコ銀貨

◎明清の社会

 明清の時代は、王朝は交代しますが、社会・経済・文化はひとつづきのものとして発展していきます。

 蘇州、杭州など、特に長江下流地域に商工業都市が発展し、工業では綿織物、絹織物工業が発展、宋代からはじまる景徳鎮の窯業も盛んです。

 米の主産地は、長江下流域から中流域に移動し、この時代は「湖広熟すれば天下足る」と云われ、湖広とは湖北、湖南、江西省の長江中流域を意味しています。

 商業も盛んで、山西商人、新安商人などによる遠隔地交易が盛んになり、山西商人は山西省、新安商人は安徽省徽州府出身の商人で、同郷者どうし協力しあい、ネットワークをつくって中国全土を舞台に活躍しました。
各地に「会館」「公所」と呼ばれる自分たちの宿泊施設や、商品の倉庫をつくりましたが、会館の名前は、日本語にもなっています。

※銀の大量流入

 明清時代に中国国内に大量の銀が流入します。
これは、海外貿易で中国からの輸出品の代金として支払われたもので、当時、アジア地域の国際貿易は銀で決済していました。
その訳は、大量の銀が存在しており、その出所は、日本とメキシコでした。
戦国時代から江戸時代の半ばにかけての日本は、世界的にみても大量の銀が採掘されており、代表的な銀山が兵庫県の生野銀山で、この銀が、オランダなどを通じて中国に流れ、メキシコからはスペインが大量の銀をアジアに運んだのです。

 大量の銀が中国国内に流通するように成り、明の一条鞭法や、清の地丁銀など税の銀納化が進行しました。
戦国時代や江戸時代の日本の農民が、年貢を銀で支払う、ことは想像できません。
如何に明清時代の中国で、貨幣経済が発展していたか理解できると思います。

 地域社会で指導的な役割を持ったのが「郷紳」と呼ばれる人々です。
かれらは郷村社会の指導者であると同時に、科挙官僚もしくはその予備軍でも在り、経済的には地主階級です。
宋の時代に「士大夫」と呼ばれていた人たちとほぼ同じですが、郷紳と呼ぶ様に成ったのは、地域社会で彼らの存在が大きくなってきた為と思われます。

続く・・・

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