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2012/05/09

人類の軌跡その371:アメリカ合衆国成立以前の北アメリカ③

<17世紀における北アメリカの植民地化③>

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感謝祭

 ヴァージニア植民地がイギリス最初の植民地で、その後、様々な集団が移住し、植民地を建設します。
アメリカ大陸に移住する集団は、それぞれ国王から場所を指定した許可状を交付され、植民地に名前を付けられます。
基本的には植民地どうしの連携はありません。
 
なかには、イギリス本国で迫害を受けたピューリタンが、信仰の自由を求めて建設した植民地もあります。
1620年、ピルグリム・ファーザーズのグループが建設したプリマス植民地で、1732年に成立したジョージア植民地まで、13の植民地が成立します。
この13植民地を基礎に、現在のアメリカ合衆国になるのです。

◎13植民地の生活

 13植民地の人々はどんな暮らしぶりだったのでしょうか。
13植民地でベストセラーになった『貧しきリチャードの暦』を通して見てみたいと思います。
『貧しきリチャードの暦』を出版したのはベンジャミン・フランクリン(1706年~1790年)です。

 フランクリンは父親の代にアメリカ大陸に移住し、父親はボストンでロウソクや石鹸をつくっていました。
家は貧しかったので、小学校も満足に行っていませんでしたが、12歳で印刷屋をやっていたお兄さんのところで働きはじめます。
兄貴と上手くいかず、17歳の時に無一文でボストンを離れて、フィラデルフィアに移りました。
ここで、印刷工として働いて、22歳の時には独立して自分の印刷所を持つ迄に成りました。
まじめに働き、いろいろな事に好奇心を持ち、自分の頭で考える事が得意な人物でした。
 
当時、印刷所はカレンダーをつくって販売していました。
今でも、カレンダーは印刷会社が作りますが、フランクリン時代の13植民地では、誰もカレンダーを現在の様に貰えません。
買うしかないので、カレンダーは絶対売れますが、どこの印刷所でもカレンダーを印刷して販売していました。
ところで、カレンダーは、1から31までの数字と曜日さえ書いてあれば良いので、どこの印刷所のカレンダーも同じようなものです。

 フランクリンは、ここで知恵を絞ります。
たくさん売れる為には独自性を出さないといけません。
そこで思いついたのが、カレンダーの余白に「ことわざ」を印刷することでした。
聖書をはじめとするいろいろな本から、人生訓的なものを探し出してカレンダーを埋め尽くし、足りない場合は、自分でことわざを創りました。
そうして、出来上がったのが『貧しきリチャードの暦』と云うカレンダー。
ものすごい人気を呼んで、売れに売れ、フランクリンは有名になり、金持ちになりました。

『貧しきリチャードの暦』はロングセラーにも成り、ことわざを入れ替えながら、これ以後25年間出版され続けます。
これだけ売れたのは、「ことわざ」を入れるという工夫の為だけではなく、フランクリンの選んだ「ことわざ」そのものに、当時の植民地の人々を揺り動かす何かがあったと考えられます。

 いったいどんな「ことわざ」が載っていたのでしょうか。

「女と灯火のない家庭は魂のない人のようだ」
「軽い財布、重い心」
「よく愛し、よく鞭打て」
「生きるために食い、食うために生きるのではない」
「金をためすには火、女をためすには金、男をためすには女」
「寝ている狐は一羽の鳥も捕まえない」
「怠惰は何でもことをむずかしくするが、勤勉はすべてをたやすくする」
「仕事を追い、仕事に追われるな」
「早起きは人を健康に、金持ちに、賢くする」
「必要のないものを買えば、まもなく必要のあるものを売らなければならなくなる」
「御馳走が多いと意志がやせる」
「天は自ら助くるものを助く」
「今日の一日は明日の二日」
「空の袋は立ちにくい」

 どこかで聞いた事のあるものですが、フランクリンの「ことわざ」を読んでいくと、共通点がいくつか見えてきます。
彼が繰り返し繰り返し訴えているのは、勤勉、節約、蓄財です。
働きなさい、無駄遣いはいけません、貯めなさい、まさしくカルヴァン派、ピューリタンの教えなのです。

続く・・・

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