2012/05/11

人類の軌跡その373:アメリカ合衆国成立以前の北アメリカ⑤

<17世紀における北アメリカの植民地化⑤>

BenFranklinDuplessis_convert_20120511214725.jpg
Benjamin Franklin

 フランクリンは印刷所で成功を収めた後は、別の分野にも興味を持ちました。
 当時、発達しはじめていた科学の中でも電気科学の分野は、種々の仮説が発表されていました。
フランクリンは、持ち前の好奇心で電気の研究を始めます。
有名な研究が雷で、フランクリンは、雷は電気ではないかという説を立てて、嵐の日に凧を飛ばした、有名な実験です。
結果は、見事に凧に雷が落ち、凧に取り付けられた電線を通じて、フランクリンの足下に置かれた蓄電池に、見事に電気が伝わってきたのです。
この研究で、電気科学の研究者としてヨーロッパでも有名になります。
処で、凧を持っていたフランクリンは何故感電しなかったのか不思議ですが、一言で言えば運が良かったのです。
フランクリンの実験結果を知り、スウェーデンの科学者が追認実験を行いましたが、その人は感電死しています。

 その他、フランクリンの活動は止まるところを知りません。
ストーブの改良、アメリカではじめての図書館の設立、奴隷制度反対協会設立、等々。晩年は政治家、外交官としても活躍して、アメリカ独立に貢献しました。
独立宣言の起草者の一人でもあります。
誰にでも陽気に声をかけて冗談を言う、「最初のアメリカ人」なのです。

 最後にフランクリンと先住民との関係について。
 昨日の記事に、未開の荒野が無限に広がっていると書きましたが、その荒野には遙か昔から先住民が住んでいました。
必然的に、自営農民達にとって、ネイティヴ・アメリカンは邪魔な存在でした。
農民にエールを贈るフランクリンの立場も同様で、奴隷制度に反対していたフランクリンが彼等に関してこんな言葉を残しています。

「ラム酒はインディアンを消してしまう為に、神が我々に与えたもうた」

 白人達が、ネイティヴ・アメリカンから土地を奪う時によく使った手法で、ラム酒を持ってネイティヴ・アメリカンの村に挨拶に行き、一緒に食事をして、「飲め飲め」とラム酒を勧めます。
ラム酒は強い酒で、ネイティヴ・アメリカン達はその様な強い酒を飲んだ経験が無いので、猛烈に酔っぱらってしまいます。
前後不覚に成った処で、土地の譲渡契約書に無理矢理サインをさせて、引き上げます。

 翌日、ネイティヴ・アメリカンの土地に杭を打ち込んで囲い込みます。
彼等が抗議に訪れると、契約書を見せて、「誰其れはこの土地を俺に譲ると署名した」、と主張し譲りません。
合法性を装い、先住民から土地を奪う為の武器がラム酒だったのです。
フランクリンはそのラム酒を讃えている訳で、この辺が、アメリカ史の複雑な処です。

100615_convert_20120511214917.jpg

※フランクリンの科学・技術の功績

1、ライデン瓶の実験から、電気に興味を持ち1752年、雷を伴う嵐の中で凧をあげ、凧糸の末端にワイヤーで接続したライデン瓶により雷雲の帯電を証明するという実験を行った。また、雷の電気はプラスとマイナスの両方の極性があることも確認したといわれている。この命がけの研究結果によってフランクリンはロンドン王立協会の会員となった。
この話は有名になったが、同じような実験を行い死者が出たため(フランクリンは事故を起こさないよう、かなり慎重に実験の準備を進めたことが明らかになっている)、現在はあまり紹介されない。
2、避雷針
3、フランクリンストーブとして知られる燃焼効率の良いストーブ
4、ロッキングチェアー
5、遠近両用眼鏡

等を発明しましたが、これらの発明に関する特許は取得せず、社会に還元しました。

尚、夏時間を考案したが、この時代には採用されなかった。1~5 Wikipediaより)

17世紀における北アメリカの植民地化終わり・・・
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント