2012/05/12

人類の軌跡その374:アメリカの独立①

<アメリカ独立その①>

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フレンチ・インディアン戦争

◎13植民地の特徴

 本国イギリスは、13植民地に対して如何なる支配をしていたのでしょうか?
 
 実は、イギリス本国政府は、アメリカに成立した13植民地に対して無関心でした。
植民地の人達の生活に、規制や干渉を加えず、税金も徴収しませんが、政府としての行政行為も一切行いません。
言い換えれば、植民地の自由です。

 従って、植民地の住民は、イギリス本国政府を頼りにする事無く、全部自分達で実行解決を行いました。
そのたま、早い段階から植民地で議会が成立します。
一番は初期に成立したのが、1619年のヴァージニア植民地議会でした。
政治的にも、自主自立、自助努力が植民地の人達にとって、当然の生活態度になります。
自由な気風が尊ばれ、イギリスの一部でありながら、イギリスとは違った文化風土が生まれはじめていました。

 産業も徐々に発達してきます。
北部の植民地では、商工業が発達すし、農業は自営農民が主流となります。
南部の植民地では、プランテーションが発達し、気候にあった商品作物として、タバコ、綿花の大規模栽培が行われました。
これらの農作物は、多くの人手を必要とし、その労働力不足を補う為に、南部では奴隷制度が発達しました。
奴隷はアフリカから連れてこられた黒人達で、同じイギリスの植民地でも、北部はプランテーションは存在しないので、奴隷制も存在しませんでした。

◎独立戦争その①

 1754年から63年まで、フレンチ・インディアン戦争が北アメリカで勃発しました。
イギリスとフランスの植民地戦争で、同時期、ヨーロッパでは七年戦争が発生しています。
この戦争の原因は、北アメリカに於ける領土の奪い合いで、フレンチ・インディアン戦争と云う名称は、フランスがネイティヴ・アメリカン(インディアン)と同盟を結んで、共同でイギリスと戦ったところから名づけられました。ネイティヴ・アメリカン達には、土地を奪うイギリスの植民者は憎い存在ですが、フランスは毛皮交易等を目的に植民地を経営しており、結果的に利害の対立は無く、フランスと同盟を結んでイギリスと戦うのは道理です。

 フレンチ・インディアン戦争は、イギリスの勝利で終わり、勝者のイギリスはパリ条約で、ミシシッピ川以東のルイジアナ地方を獲得した結果、フランスの勢力は北アメリカから消滅しました。
この戦争では、13植民地の人々も当然イギリス側として参戦しました。
結果は、イギリスが勝利し内陸部のフランス領がイギリス領に成り、更に内陸部を開拓して、農地を広げる事が可能と成りました。

 ところが、1763年、イギリス王は新しくイギリス領になったルイジアナ地方を国王の直轄地として、13植民地人の入植を禁止し、13植民地と、国王直轄地との間に引かれた境界線を「国王宣言線」と呼びます。
当然13植民地は、この国王宣言線に対して反発し、フレンチ・インディアン戦争で戦ったのは何の為なのか、と云う主張が成されました。
これが、13植民地とイギリス本国政府との最初の軋轢です。

続く・・・

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