2012/05/14

人類の軌跡その375:アメリカの独立②

<アメリカ独立その②>

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ボストン茶会事件

◎独立戦争その②

 1765年、イギリス本国政府は13植民地に対して、印紙法を施行しようとしました。
これは、植民地で発行されるすべての印刷物に課税を意味するもので、フレンチ・インディアン戦争での戦費を植民地人に負担させるのがこの税金の目的でした。
 
 植民地側からすれば、入植地が拡大したわけでも無く、税金だけ徴収するのは本国政府の横暴です。
しかも、それまで13植民地は、税金を徴収される事は無く、税金無しは、一見羨ましく思いますが、植民地人は納税の義務がない代わりに、参政権も存在しませんでした。
植民地に住んでいても、国籍はイギリス人です。
ところが、イギリスの国会議員を選ぶ権利は無く、参政権を与えられずに、納税だけを迫られたので、13植民地は猛反発しました。
このときの植民地側のスローガンは後世迄残る名言で、「代表なくして課税なし」。
代表は、もちろん自分達が選ぶ国会議員のことです。

 イギリス政府は植民地の猛反対で、印紙法を廃止しますが、この後も同様な法律を制定していきます。
その中で、再び植民地側の猛反発を受けたのが、1773年の茶法でした。

 茶法は、イギリス東インド会社の茶しか、13植民地での販売を認めない法律、植民地人は、この法律にひどく反発しました。
当時お茶はイギリス人にとって国民的飲料に成っていました。
イギリスでは、東インド会社が中国から茶を輸入して以来、お茶が瞬く間に国民の間に広がりました。
もちろん紅茶です。
常に食卓に在る飲みのが、お茶ですから、茶法は植民地の人達にとって、イギリス本国の強引なやり方の象徴となりました。

 そこで、本国政府の強引な徴収方法に過激な方法で対抗する植民地の人々が、ボストンの港に入港した東インド会社の貿易船に乱入して、積み荷の茶を海に投げ捨てました。
これが、1773年ボストン茶会事件で、この事件は、アメリカでは切手にもなりました。
事件は夜に発生し、植民地人達がボートに乗って貿易船に近づき、ネイティヴ・アメリカンに変装して、海に箱を投げいれました。
9万ドル相当分の茶が台無しに成りました。

 ボストン茶会事件は、事件としては実にささやかなものですが、植民地人が本国に対して、実力行使をしたという点で、画期的でした。
植民地人達の反抗心に火を付け、アメリカ独立史の出発点と成った、アメリカ人にとっては記念すべき事件なのです。
 
 現在のアメリカ人はあまり紅茶を飲ません。
アメリカの国民飲料は、アメリカンコーヒーで、「イギリスの紅茶なんか飲めるか!」と茶法に反発した植民地人達が、紅茶の代用品として飲み始めたのです。

 此処まで対立が深まると、イギリス本国政府との対立は避けられません。
そこで13植民地の代表者が参集し、第一回大陸会議(1774年)が開催されます。
それまでは、13植民地の成立事情、成立時期が異なり、お互いの連絡は皆無に等しい状況ですが、本国との対立が実力行使までに発展したので、今後はお互いの協力を約束しました。
開催地はフィラデルフィア、後の独立後最初の首都になる都市です。

続く・・・
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