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2012/05/18

人類の軌跡その379:フランス革命・ブルボン王朝の終焉②

<フランス革命②>

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一般庶民の生活

◎革命前夜のフランス②

 ルイ16世の妃マリー・アントワネットは「私は退屈が怖いのです」と云いました。
彼女はオーストリア・ハプスブルク家から輿入れしてきたお姫様ですが、夫のルイ16世とは、相性が良くなかった様子で、贅沢三昧の日々を過ごします。
庶民感覚からは、信じられない位の贅沢をし、ハプスブルク家出身と云う意味も在り、平民の恨みを一身に背負うのですが、それでも贅沢三昧を止まりません。

 彼女だけでなく、貴族達は、本当に贅沢な暮らしをしていました。
タレーラン、この人物はフランス革命後も外交官として活躍するのですが、彼が革命後に、アンシャン=レジームの下での暮らしを思い出して云う、「1789年以前に生きた事のない人に、人生の甘美さは判らない」。
1789年はフランス革命の起きた年です。

 一方でアンシャン=レジームに対する批判も高まってきます。
その一つが、啓蒙思想で、理性の力によって迷信や偏見を打破して、社会不正を改革しようとする合理主義的思想です。
啓蒙思想家で一番有名な人物がヴォルテール(1694年~1778年)でした。
本来は詩人ですが、フランスの政治体制や社会不正を徹底的に告発して有名になり、貴族にも彼の支持者が居り、ポンパドゥール夫人は、フランス政治を批判して、亡命していたヴォルテールがヴェルサイユ宮殿に出入りできる様に取りなしました。
プロイセンのフリードリヒ2世が、ヴォルテールに共鳴し、ベルリンに招いた事も在ります。

 『社会契約論』の著者で人民主権を唱えたルソー(1712年~78年)も、同時代の啓蒙思想家の一人です。
これら啓蒙思想家264人が集まって編纂した百科事典が『百科全書』でした。
『百科全書』の編集責任者がディドロ、ダランベール、『百科全書』の出版は当然、政府当局の妨害を受けるのですが、政府の役人の中にも、彼らの出版を援助する者も存在し、実際に刊行されると、ポンパドゥール夫人の机の上に乗りました。(昨日の記事の挿絵参照)
貴族も啓蒙思想に、時代の流れを感じていたということでしょう。

 又アメリカ独立宣言も、アンシャン=レジーム批判に大きな影響を与え、独立宣言には、天賦人権思想や平等、自由、幸福追求の権利が謳われており、フランスは独立戦争に援軍を送っていた事から、実際にアメリカで戦ったフランス人兵士も存在し、彼等は当然アメリカ独立の精神を肌で感じて帰ってきています。
フランスの制度に批判的になるのは当然です。

 そして、フランス革命が勃発する1789年初頭、僧侶シェイエスが『第三身分とは何か』と題する、アンシャン=レジームを批判するパンフレットを発行しました。
このパンフレットで、シェイエスは説きました。
「第三身分とは何か?それは総てである」なぜなら、「フランス国民の大部分は第三身分であり、特権階級は第三身分に寄生しているだけであるから」、そして、更に問う。
第三身分とは何か?「それはゼロである」、なぜなら、「政治的に何の権利もないから、総てであり、ゼロである」
、と云う第三身分の状況、アンシャン=レジームの矛盾を訴える内容でした。
『第三身分とは何か』は大反響を起こし、この年の夏にフランス革命が勃発する事に成ります。

続く・・・
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