2012/05/21

人類の軌跡その381:フランス革命・ブルボン王朝の終焉④

<フランス革命④>

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ウージェーヌ・ドラクロワ (1798-1863)「 民衆を導く自由の女神 」

◎革命の勃発その②

 三部会は冒頭から紛糾しました。
特権階級への課税問題で紛糾した訳では無く、会議の議決方法で紛糾したのです。
三部会の議員は、第一身分308人、第二身分285人、第三身分621人ですから、第一身分と第二身分を合計しても、593人、第三身分の621人よりも少ないのです。
第三身分は貴族への課税に賛成ですから、単純に多数決を行うと、確実に特権階級は負けて、貴族への課税が決定してしまいます。

 そこで、第一、第二身分は議決方法として、人数には関係なく、一身分一票を主張しました。
第一身分に一票、第二身分も一票、第三身分も一票を持ち、合計三票で多数決の採択を考えたのです。
この方法ならば、第一、第二身分は反対に投票しますから、2対1で貴族への課税は否決されます。
一身分一票は、今日の議会運営では馴染みの無い制度ですが、身分制議会の為、この様な考え方も可能でした。
現在で言えば、国際連合がこの方式を採用し、人口に関係なく、国連総会では一国一票で議決を行います。

 さて、招集された三部会は、空転して先に進見ません。
この様な場合、国王が召集した議会でから、国王が、決断下せば良いのです。
国王は、財政改革の為に三部会を招集したのですから、一人一票に賛成すれば良い訳です。
しかし、ルイ16世は、その決断が出来ません。
貴族に課税は行いたいものの、貴族階級は自分の臣下で在り、更に第三身分が主張している一人一票の議決方法に同調して、第三身分の発言権を増したくないという気持ちが存在していました。
貴族社会の第一人者としての立場をルイ16世は乗り越える事が出来ません。

 国王の手を拱く姿に、第三身分代表は失望しました。
6月、三部会に見切りをつけた第三身分代表の議員達は、三部会に決別し、自分達だけで議会を組織しました。
これが、国民議会です。
当然、国王はその様な行為を認ず、三部会の会議場は使用できず、第三身分代表は、ヴェルサイユ宮殿に付属している室内球戯場に参集し、憲法制定、国王が国民議会を正式な議会と認める迄解散しない事を誓います。
これを「球戯場の誓い」と云います。

 その内に、第一身分、第二身分代表の議員の中からも、国民議会の主張に賛同して、合流する者が増えてきました。
貴族の中には、自由主義貴族と呼ばれる人士が存在し、彼等は啓蒙思想の影響を受けて、アンシャン=レジームが時代遅れである事を理解している訳です。
フランスの発展のためには、改革が必要であると感じていた。
例えば、アメリカ独立戦争に参加していたラファイエットは「新大陸の英雄」として、既に国民の人望が在りました。
時代の流れを読みとる事のできた人士は、特権階級であっても、国民議会に参加したのです。

 やがて三部会は、その機能を喪失し、ルイ16世も、国民議会を正式な議会として承認せざるを得ず、国民議会は、新しい国造りの為の憲法制定に着手しました。

 しかし、ルイ16世は第三身分が主導権を掌握した、国民議会を打倒したい気持ちに変わりは在りません。
彼は国民議会に圧力をかける為に、軍隊に動員令を発動し、各地の部隊が、ヴェルサイユとパリに移動を開始します。

 軍隊の移動を察知した、パリ市民は、ルイ16世の意図を見抜き、国王は「軍隊によって国民議会を解散させようとしているのだ」、と考えました。
国王が軍事力を行使するなら、自分達も軍事力で国民議会を守ろうと考えたのです。
緊張が高まる中、財政改革の期待を一身に担っていたネッケルが罷免されました。
遂にパリ市民は、国民議会とパリを守る為に、パリ市民による市民軍を編成したのです。

続く・・・

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