2012/05/22

人類の軌跡その382:フランス革命・ブルボン王朝の終焉⑤

<フランス革命⑤>

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バスティーユ牢獄襲撃

◎革命の勃発その③

 編成した市民軍ですが、肝心の武器が在りません。
7月14日、パリの市民は蜂起します。
まず、軍事施設で在る廃兵院を襲撃し、保管されている武器を確保しました。
武器を手に入れましたが、火薬が不足しています。
当時、火薬の保管場所がバスティーユ牢獄で、市民はバスティーユ牢獄を襲撃しました。
バスティーユ牢獄はパリ市内に在り、牢獄という名称ですが、本来要塞として使われていた建物です。
ルイ14世時代から政治犯を収容する様に成った関係で、専制政治の象徴でも在りました。
市民はバスティーユ牢獄を占領し、これ以後、市民軍は武器弾薬を手にする事に成ります。
この7月14日が、フランス革命勃発の日と云われています。

 この日、ルイ16世は、ヴェルサイユ近郊の森に狩りに出かけていました。
宮殿に帰還して熟睡していた国王を侍従が起こして、パリ市内で起きたバスティーユ牢獄襲撃事件を伝えます。
それを聞いたルイ16世は、「暴動だな」と口にしますが、それに対して侍従は「いいえ、陛下、革命です」と答えたと伝えられています。
 
 ルイ16世の日記が残っており、この7月14日も彼は日記を付けています。
何と書いたか?
ただ一言、「何もなし」。
これは如何なる意味か説明すれば、狩にいって獲物が全然捕れなかったと云う意味です。
自分の身辺に危険が及ぶ可能性が大きな、大事件が起きているのに、その意味を理解できないルイ16世の政治的感覚の無さを伝えるエピソードです。

 一方、パリではバスティーユ牢獄襲撃に成功したパリ市民たちが気勢を挙げ、市民軍が自分達の総司令官に任命したのが、ラファイエットでした。
「新大陸の英雄」ラファイエットは、自由主義貴族ですが、貴族ですから国王に対する忠誠心も存在しています。
この時に、市民はパリの旗を革命のシンボルとして掲げていました。
パリの旗は、赤と青の二色のデザインで、ラファイエットは、赤と青のあいだに白色も入れて三色旗にしようと提案し、市民も賛成して、これ以後、三色旗が革命の旗となります。
因みに、これが現在のフランスの国旗の原型と成りました。

 白色は、実はフランス王家ブルボン家のシンボルなのです。
この色を旗の色に加える事は、「市民諸君、革命も良いが、国王も大事にしたまえ」と云う意味です。
市民がこの提案を受け入れたのは、自分達がアンシャン=レジームを変えようとしてはいても、国王を敵だとは思っていなかったということです。
王様は立派で良い人ですが、マリー・アントワネットや側近の保守的な貴族達によってフランスは悪い社会秩序の方向に流されている、と云うのが一般的な国民の感情だった様です。

 パリでの事件が伝えられると、全国で農民が蜂起し、貴族、領主の館を襲い、借金の証文を焼き捨てる等、地方の農村は「大恐怖」とよばれるパニック状態に陥ります。
農民達が、実力行使で封建的な支配制度を破壊し始めたのです。

 パリや地方の民衆の動きを受けて、8月4日、国民議会は「封建的特権の廃止」を宣言しました。
身分制度と領主制を廃止し、更に8月26日に、国民議会は「人権宣言」を発表しました。
その第一条は「人間は、生まれながらにして、自由であり、権利において平等である。社会的な差別は、共同の利益に基づく場合にしかもうけられることができない」と云う有名な文章です。
この「人権宣言」を起草したのは、ラファイエットです。

 こうして、アンシャン=レジームは終わりましたが、この後に、如何なる政治体制を構築するか、各勢力が凌ぎを削りフランスは激動の時代に突入して行きます。

ブルボン王朝の終焉終わり・・・
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