2012/05/26

人類の軌跡その386:フランス革命・激動期の始まり④

<フランス革命⑧>

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『テュイルリー宮殿の襲撃』

◎8月10日事件その②

 プロイセン軍がパリに迫り、政府は「祖国の危機」を全土に訴えました。
このままでは、革命はつぶされる、フランス国民よ、祖国を守れ、革命を守れ、と人民を鼓舞し、この訴えにこたえて、フランス全土で義勇兵が組織されて、パリに結集しました。
この時、マルセイユの義勇兵が歌っていた歌が「ラ・マルセイエーズ」で、後にフランス国歌と成ります。

 迫る外国軍、祖国の危機にはせ参じる義勇兵、緊張が高まるなかで、敵は本当に外部だけなのか、フランス軍の連戦連負は、フランスの内部に諜報者が存在するのではないか、と誰もが思いはじめました。
疑惑は以前から存在したのですが、緊張感のなかで、生活難に苦しむ貧しい市民の、想いが爆発します。

 1792年8月10日、パリ市民と義勇兵は、王宮を攻撃しました。
フランスの本当の敵は国王ルイ16世に違いないと考えた結果で、国王の王権は停止され、一家は全員タンプル塔に幽閉されてしまいます。
これを8月10日事件と呼びます。

 この後、パリでは市民が、裏切り者、反革命分子と思われる人々を虐殺しますが、この行為は多くの人々の間で、革命を守る為の必要悪と考えていた様です。
又、前線の指揮官で、国王側に立って政府を裏切っていたものは解任され、多くは亡命しました。
前線で指揮を執っていたラファイエットもこの時亡命します。
彼は革命政府に背信行為を行った訳では在りませんが、国王が幽閉された事を知り、パリへ進撃して国王を救おうとしましたが、部下の兵士が動かず、国王の救出を断念しての亡命でした。
入れ替わりに、前線には、義勇兵が向かいます。

 混乱に乗じて、プロイセン軍は更にパリに迫り、プロイセン軍と義勇兵の最初の戦闘が戦ったのがヴァルミーの戦いです。
プロイセン軍はフランス軍に激しい砲撃を加え、今迄のフランス軍なら、これですぐに退却をはじめるのですが、義勇兵達は怯まずに「ラ・マルセイエーズ」を大合唱します。
異様な雰囲気に包まれたプロイセン軍が、逆に退却をはじめ、戦闘に負けたのではなく、フランス義勇兵の勢いに負けたのでした。
革命を守らなければならないと云う兵士一人ひとりの志気の高さ、之は、如何なる国の軍隊にも存在しないものでした。

 ヴァルミーの戦いにドイツの文豪ゲーテが従軍しており、この戦闘の後に、この様な言葉を残していいます。
「この日この場所から世界史の新しい時代がはじまる」

激動期の始まり・終わり・・・
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