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2012/05/29

人類の軌跡その388:フランス革命・第一共和制②

<フランス革命⑩>

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Maximilien François Marie Isidore de Robespierre,1758年5月6日 - 1794年7月28日

◎ジャコバン派独裁政治の始まり

 国内でも経済危機が深刻化し、経済政策をめぐって政治的対立が激しく成りました。
政府は財政難の為に紙幣を増刷し、インフレが進行、紙幣の価値が下がる一方で、農家は小麦を売っても紙幣の価値が下がれば損なので、売ろうとせず、商人達も、売り惜しみをします。
結局市場に小麦が出回らず、インフレによる物価高と食糧不足で、生活を直撃されるのが下層市民で、彼等の不満は政府の無策に向けられました。

 政権を担当していたのはジロンド派でした。
国民公会では、大きく分けてジロンド派とジャコバン派の派閥が存在しており、ジロンド派は、裕福な商工業者である上層・中層市民が支持し、政策は穏健、急速な改革は好まない現実主義的です。
一方ジャコバン派は、職人、小商人など下層市民が支持し、急進的に革命の理念を実現しようとする、理想主義的派閥で、指導者にはロベスピエール、マラー、ダントンがいました。

 パリで商人達の買い占め、売り惜しみで食糧不足になると、下層市民は政府に対策を求め、ジロンド派の大臣ロランの言葉を引用すれば、「議会が食糧について成し得る唯一の事は、議会は何も成すべきではないと云う事、あらゆる障害を取り除く事を宣言する事であろう」。
食糧不足に対して「何も成すべきではない」と言っているのです。
この言葉の裏には、ジロンド派の自由を好む姿が見て取れます。
革命前、貴族達に頭を押さえつけられて自由は存在せず、フランス革命で自由に成りました。
政府は自由を制限すべきではないと考えており、経済活動も自由、買い占めや売り惜しみも自由、それで儲かる人には儲ける自由がある、と考えるのです。

 確かに理解出来ない事も在りませんが、現実に飢えている下層市民はどうなるのでしょう。
自由の名の下に、ジロンド派は市民を見殺しにしようとしているのだ、とジャコバン派は反論します。
民衆に近い立場のエベールという政治家の発言は、「商人達に祖国はないのだ。彼らは革命が自分達に有利だと思われた間はそれを支持し、貴族と高等法院を破壊するためにサン=キュロット(下層市民)に手を貸した。しかし、それは自分たちが貴族にとって代わる為だった」、「十分理解出来ます。

 ロベスピエールは、「権利のうち第一のものは生存する権利である。だから社会の法は社会のすべての成員に生存の手段を確保する法であった。他のすべての法はそれに従属する」。
大商人の経済の自由よりも、下層市民の生きる権利の方が大事で在ると述べています。

 サン・ジュストは、「金持ちも貧乏人もあってはならない。富裕は汚辱だ」、「富裕は汚辱」、実に過激です。

 マラーは、「過激な手段によってしか自由をうちたてることはできない。諸国王の専制を打ち破る為には、一時的に自由の専制を組織しなければならない時がきたのだ。」
本当の自由を手に入れる為には、自由を制限しなければならない時がある、と云いジロンド派では駄目だ、と云う意味です。
ここで、「諸国王の専制」意味は、対仏大同盟の事で、対外的な戦争の危機も迫っているのに、経済問題でジロンド派と議論に時間を費やさず、強力な権力を打ち立てて、機敏に危機に対処していかなければいけない、とジャコバン派は考え、パリの民衆も、その考えを支持します。

 1793年6月、終にジャコバン派は、実力で議会からジロンド派を追放し独裁政治を開始しました。
フランス革命は終盤、ジャコバン派独裁を迎えます。

第一共和制 終わり・・・
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