2012/05/31

人類の軌跡その390:フランス革命・恐怖政治②

<フランス革命⑫>

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最高存在の祭典(La fête de l'Être suprême)

◎ジャコバン派独裁その②

 そして、ジャコバン派独裁の最大の特徴が「恐怖政治」で在り、この時期に、反革命罪で非常に多くの人達が処刑されました。
ジャコバン派独裁の初期、国内各地で反革命の反乱が起きていたので、革命政府を守る為には、厳しい処分で反対派を押さえ込む必要が在りました。
又、最高価格令等、下層市民には有益な法律ですが、商工業者等上層・中層市民には、値上げが出来ず迷惑な法律です。
最高価格令を守らせる為には、強引な手段が必要で、その為、充分な裁判もないまま死刑が乱発されました。

 この時期に処刑された人数を考察すると、パリに革命裁判所が設置された1793年4月から94年6月10日迄の処刑が1251人。
一ヵ月平均130人前後で、一日では4.5人。
現在日本で一年間に、死刑執行される人数がほぼ同数です。
しかも、この数字はパリのみの数字で在り、94年6月11日からは裁判が簡略されて、処刑が激増し、7月27日迄の47日間に1376人、一日平均29人、昼間の8時間に死刑執行が行われると仮定すれば、一時間平均3.6人です。
当然、無実の罪で処刑された者も多かった筈で、ロベスピエールに冷酷な悪魔の様なイメージを持っている人が居るのも、これが原因です。

 ジャコバン派独裁の末期になると、ロベスピエールは同じジャコバン派の政治家達も処刑対象に成ります。
当然ながらジャコバン派の中にも、考え方の違いが生じ、下層民の支持を背景に、更に過激に革命を推進する左派グループと、上層市民に近い立場から穏健な政策を求める右派グループに分かれていきました。
ロベスピエールのグループは中間派で、自分達の路線を守る為に、左派、右派共に政敵として処刑します。
1793年3月には、下層市民に人望の高い左派のエベールとそのグループを処刑し、4月には、右派のダントンとそのグループを処刑します。

 ダントンは、ロベスピエールと並んで、嘗てはジャコバン派のリーダーの一人でしたが、金銭スキャンダルが絶えず、上層市民に近い立場をとっていた為に、処刑されたのです。
ダントンは、ロベスピエールの下宿の前を通ったときには、2階を見上げながら、「ロベスピエール、次はお前の番だ」と叫んだと云い、最後まで個性的で激しい男でした。

 この様な事態に至り国民公会の議員達は、皆「次は俺がやられるのではないか」と、不安に成ります。
国民公会には、ジャコバン派以外に平原派とよばれる一団の議員達が居り、彼らはジロンド派の追放とジャコバン派独裁を黙って見ていたグループです。
その平原派が、恐怖政治の行き過ぎ、ロベスピエールの独裁に不安を持ち、反ロベスピエールで結束します。

 ジャコバン派のなかでも、「やりすぎた」ロベスピエールは孤立します。

続く・・・
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